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【長編小説】真夏の死角62 進行する日本国家カジノ化構想

「さあ、入ってください」

 美姫と慶次が豪華な室内にキョロキョロと押し付きなく目を走らせているところにアイデルバーグの声がした。アイデルバーグはこの部屋をすでに知っているのだろう。中国人の案内もなく、自らが案内人となって田久保が入ってきた。

「ここが裏カジノの本拠地というわけですか」

 田久保が超高級ホテルのVIPルームのような部屋を見渡しながら言った。見渡す中、一瞬毛沢東の巨大な肖像画に目を留めたが今は話題にすべきではないと判断したのだろう。それに触れることはなく、当たり障りのない感想をアイデルバーグにもらした。

 ところが、アイデルバーグの答えは、田久保の度肝を抜くものだった。

「今のところそうですね。しかしここにはもう一つの顔があります。それは日本国政府直轄の日本カジノ化プロジェと推進室でもあります」

「日本カジノ化プロジェクト……?」

 異様な響きを持つ不気味で凶暴な香りと、どす黒いマネーの匂いのするその言葉の真意を確かめようと、田久保は警官としての鋭い目つきをアイデルバーグに向けた。

「先程私が、この場所は実は日本政府公認の場所であると言ったことを覚えていますか」

 アイデルバーグは田久保の咎めるよな視線にはまったく反応せず、いつもどおりの柔和な顔を田久保に向けて言った。

「……覚えている。その真意はまだ聞いていない」

「これから順にお話しますよ。その政府直轄の国家プロジェクトには、東北帝国の大金塊も存在も大きく関わってきます」

「国家プロジェクトと言ったって、そんなものが国会で承認された事実などない……」

 田久保は荒唐無稽な話を既定事実として淡々と語っていくアイデルバーグに抗うように、正攻法でアイデルバーグの発言を咎めた。

「日本の第2次世界大戦中を思い出してください。重要な国家プロジェクトをいちいち国会に諮って国民に公にしていましたか」

「……いやしかし今は……」

「今も昔も変わりありませんよ。最重要なプロジェクトは常に国会を通さずに決めています。もっとも、戦後日本は日本単独では決められない。具体的には日米双方の国家が……といえば聞こえはいいですが、事実上米国から日本への要望が出され、それを日本政府や日本国を牛耳っている影の支配者たちが談合のようにして日本の進路を決めています」

「……。随分詳しいようだが……」
 田久保は淡々と語るアイデルバーグに少しでも対抗しようとしたが、アイデルバーグの次の言葉で沈黙せざるを得なかった。

「米国CIAをも凌駕するモサドの諜報力を持ってすれば、いつどんな取り決めがなされているのかは9割知ることができます」

「……」
 少なくとも一介の警部など想像もつかないような日本に関する機密情報を、このアイデルバーグは持っているのだろう。それは認めざるを得なかった。

「で、その日本国家をカジノ化するというのはいったいどういう冗談なんだ」

「冗談ではありませんよ。今後日本はますます経済が落ち込んでいき、先進国から脱落するのはそんなに遠い将来のことではありません。そんな状況の中で日本政府は水面下で実にいろんなことを考えた。その中の一つが、もはや表の国家として一流国であることに見切りをつけ、世界のブラックマネーを牛耳ることで国家としてのプレゼンスを維持していこうと決定したのです。日本の地方都市にカジノを誘致するのではない。日本国家そのものがカジノになるのです。そして日本政府はカジノの元締めとしてアングラマネーのハブとして機能する。表に出せない金は先進国政府も例外なく処理に困っている。そして、そのノウハウを戦前の東北帝国は持っていた。代議士の小谷三郎氏はそのことを熟知しておられる。」

「日本が……!?先進国で有り続けることに見切りをつけ、世界のブラックマネー、地下マネーの元締めとして国際社会の裏舞台から世界に参加していく……。それを政府が事実上の我が国の進むべき方向だと決定しているというのか!?」

 アイデルバーグはここでやっと、これまでの淡々とした表情をひっこめて、田久保に同情するような視線を向けた。しかしそれは哀れみの視線ではなく、どこかしら友情のこもったような奇妙なニュアンスを帯びていた。

「イスラエルも国家としては本当に苦労してきました」
 アイデルバーグはまるでイスラエル建国以来ずっとその苦難を目の当たりにしてきたように、万感の思いを秘めた目で遠くに視線をやった。

「イスラエルは古代エジプトからモーセと一緒に逃げ出したころからずっと、流浪の民でした。だから、わたしたちの先祖が日本の大和朝廷の時代にこの地に流れ着いた時、当時の天皇家に言葉に尽くせないほどの恩義を受けたことは忘れません」

「いったい……どういうことだ。何の話だ……」

 アイデルバーグが柔和な友誼のこもった視線を保ちながら田久保から再び目をそらした。視線の先には澤田景子がいた。

「私からお話しますわ」

「あなたが……?」

「ええ。行方不明になった私の主人、澤田明宏の父親は民間からこの計画に参加している重要人物の一人でした」

 それまで、壮大な話に狐につままれたようになっていた美姫と慶次は「澤田明宏」の名前に現実に引き戻された。
 美姫と慶次は不安と期待の入り混じった目でお互いを見た。 離島殺人事件を始めとする澤田明宏の殺人容疑その他の不可解なできごとの背景にあるものに少しでも近づきたかったのだった。

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