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ヨハン・セバスチャン・バッハはどうして音楽の父なのか

 久しぶりにこのシリーズです(^▽^)。

 初めての方は、ぜひこちらもどうぞ。

 さて、今回は西洋音楽史を語る上でやはり超巨星を説明しないと、あとの説明がなんにーもできなくなってしまうほどの、ものすごい人ヨハン・セバスチャン・バッハにしました。

 バッハは知らない人はまずいないと思いますが、ベートーヴェンやモーツアルト程はポピュラーじゃないかもしれません。それは、ウルトラマンよりウルトラの父が有名じゃないのに似ています。

 多分知名度、イメージ的にも一族看板キャラのウルトラマンがベートーヴェンで、ウルトラマンタロウがちょっとおちゃめで女性や子供にも人気のあるモーツアルトといったところでしょうか。

 その意味で音楽の父と言われるバッハは、ウルトラの父のような威厳で、バッハ以後の音楽を支配していました。

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雰囲気がめちゃそっくり……やっぱり「父」ですね

 J.S バッハの功績はいろいろあるんですが、ここはみこちゃん流で説明してみますね。バッハの音楽がなぜ「父」なのかっていうと、それは、ポリフォニーにあるのです。

 比較するとよくわかります。ポリフォニーじゃない音楽はモノフォニーと言いまして、グレゴリオ聖歌というのが全部これになってます。聴いてみましょう。

 ずらっと、聖職者の方が並んでいますが、なんだか音楽が単調(失礼!)ですよね。それもそのはず。これだけ人がいっぱいいますが、みんな同じ旋律を同時に歌っているのです。

 一人が、どれみふぁーと歌ったら、その右隣の人も、どれみふぁー、左隣の人もどれみふぁーと歌っていて、なんだかバリエーションに欠けますよね。そこが荘厳な印象もあるわけですが、なんだかやっぱり退屈……。

 では、ポリフォニーってなんでしょうか。

 この間みこちゃんの小説「デジカメがやっと我が家にも来るぞ!」にも引用したこれですね。

 とってもいい曲ですよね。そして、なんだかこちらは奥行きがあります。そうです。混声3部合唱だからですね。一番上の音域を歌っている女性がソプラノ、真ん中の女性がアルト、一番下のテノール+バスが男性と、役割が分かれています。

 言っちゃなんですけど、混声3部合唱を聞いた後にもう一度最初のグレゴリオ聖歌を聴いてみると、バチが当たりそうですけど、なんだかつまんねー曲(爆)に聞こえなくもないですね。

 つまり、それほどまでに、今生きている私たちはポリフォニー =(イコール)音楽と耳が認識している証拠なんです。つまり昔はモノフォニーもいっぱい歌われていましたので、モノフォニー = 音楽で、ポリフォニーを完成させちゃったすごいヤツ = バッハ という感じでバッハが目立っていたのですが、やがてすべての音楽がポリフォニーになっちゃったんですよ。

 ここで、ちょっと脱線するのですが、音楽中高校付属出身のみこちゃんが、同級生と休み時間にたのしくおしゃべりしたときのエピソードをご紹介しましょう。今思い出しました。

 バッハも、モーツアルトも、ベートーヴェンも(あげればキリがないですが)全員間違いなく天才ですよね。

 でも、それぞれに天才性が違います。みこちゃんには、高校生の時にこんな楽しいおしゃべりをしました。


「バッハはさー、あの人いなかったらいずれバッハと同じお仕事をした人が現れただろうけど、音楽の歴史は千年遅れたよな」(みこちゃん)

「うんうん」(友達)

「ベートーヴェンは、もしいなかったら、ベートーヴェン以後の音楽の歴史はまるっきり違っていた可能性があるよな」

「うんうん」(友達)

「じゃあ、みこの好きなモーツアルトは?」

「モーツアルトはいてもいなくてもよかった」

(一同爆笑)


 みこちゃんはなんといってもモーツアルトが命で、今でもふと思いますが、悩み多き中高の頃(みこちゃんがかわいく悩んでいた時期があることを想像すると何か笑えるよな……( ̄▽ ̄)フフフ、あ(゚0゚)てめーいま笑ったな!)、キリスト教徒でもないのに、手を合わせて「モーツアルトより後にこの世に生まれてこれてありがとうございます」とか心の中で祈ってました。多分モーツアルトがいなかったら、みこちゃんはものすげー昭和のスケバンみたいなのになっていたか、そうでなければ、今この世にいなかったと思います。

 それほど、モーツアルトが好きなのですが、それでも、このシリーズのテーマである「西洋音楽の歴史」から言うと、モーツアルトはいてもいなくても変わらなかったのです。つまり、モーツアルトの天才性とは彼一人だけの天才で、音楽史にまったく貢献をしていない。作曲の天才性はもちろん誰にも比肩できないのですが、モーツアルトが作曲技法上なにを「発明」したかというと、なんにもやってない。西洋音楽の歴史の中に突然変異でわずか36年間絢爛に咲いためずらしいお花だったんですね。

 バッハはポリフォニーを独自に仕上げた。そしてベートーヴェンは近代和声学を確立しました。和声学については、このバッハの次でベートーヴェンをやるときに取り上げたいと思っています。この二人がいなかったら、今私たちが聴いている日本のポピュラー曲、松任谷由実も槇原敬之もなかったことは断言できます。でも、モーツアルトがいなかったとしても、ユーミンやマッキーの音楽はやがて、日本人の感性の中で生まれたはずです。


 こういうところが、音楽の理論史の面白いところですね。

 だから、このみこちゃんの「西洋音楽の歴史」では、私の神、モーツアルトは登場しません。普通の音楽の歴史の本でモーツアルトが登場しないということは絶対にありえないのですが、これは西洋音楽を作曲技法から見た場合にはありえる話なのです。

 そして、その歴史の中でもチャンピオン、父がやはりバッハなんですね。

 では、ここでバッハのポリフォニーを聴いてみましょう。

 みんなバラバラのパートを歌っています。だから、遠隔で合唱にすることにも意味がありますよね。とてもおもしろい、極めてJ.S バッハ的な動画です。

 そして、バッハは器楽曲でも大きな貢献をした作曲家なのですが、これはバッハがいろんな楽器に精通していた、という観点からみてしまうと、バッハの偉大さを見逃してしまうことになります。

 それはなんでかというと、ここでポリフォニーを思い出してください。

 もし、それぞれの楽器が、同じ旋律を同じリズムで、グレゴリオ聖歌のように弾いたら、それはなんだかつまんねー音楽になると思いませんか?

 そうなのです。今普通にポピュラー音楽でやっているバンド。あれは楽器が違うところにはその本質はなく、それぞれの楽器でバラバラのパートを演奏するというところに「バンド」という意味があるのです。

 ロックとかの場合には、イケメンヴォーカルが異様に目立ったりするのですが、JAZZのトリオとかだとリーダーはいるにしても、それぞれの個性がポリフォニーとして十分に表現されていますね。例えば、ピアノトリオで史上最高はやはりこの方たちを挙げることに異論はないと思います。

 ビル・エヴァンス(p)スコット・ラファロ(b)ポール・モチアン(ds)の三人の演奏はJAZZ史上最高のポリフォニー音楽でした。

 つまり、J.Sバッハがいなければ、この音楽を私たちが聴けたのは、もっとずっと後、もしかすると私たちが死んだ後これから1000年たってからだった可能性が高いです。


 ポリフォニーというのは、とても素晴らしい。みこちゃんは、たまにポリフォニックな音楽を聴くと涙が出ます。もちろん、ある種のスイッチが入ったときだけですね。

 それは、こんなことを考えてしまうときです。

 ひとつの音がもしそれが音楽でなかったらどうでしょうか。議論のための議論みたいな、相手の言葉も聞かずにただ相手を遮って相手よりも大きな声をわめき散らす声だとしたら。とても不穏な空気でそのポリフォニーは美しく調和することはありませんよね。

 でも、音楽を奏でるように、一人ひとりが個性をもって、同時に何か音にしても、それは<かえって>神の恩寵のような時空間をそこに出現させます。

 100人でも1000人でも10000万人でも、それぞれが自分の歌いたいように歌ったとしても、それがポリフォニーのように調和する時、それは、ひとりがしゃべり終わるまでじっと聴いていなくても、その時空間の中で自分も参加しながら他の参加者すべてと分かりあえる、分かり会えるどころか、同時に声を出さなかったら手に入らなかったような至福の音楽的な時空間の中で恍惚とした一体感を味わうことができますよね。

 だから、時々思います。

 もし世界がバッハの確立したポリフォニーの音楽のようであったとしたら。一人ひとりがみんな違うのに、それが奇跡的に調和していたらどうでしょう。きっとそこには、いじめも、差別も、マイノリティもなく、そして、それゆえに、いじめる人間も、差別する人間も、マジョリティという概念も消滅するわけです。

 みこちゃんは、ダイバーシティという言葉があまり好きじゃないです。それは、ポリフォニーじゃないから。それは一人ひとりを尊重する素晴らしい世界ではあっても、一人がしゃべり終わるまでお行儀よく聴いている世界なのではないかと思えます。もちろん、それすらしない人がいるからダイバーシティは必要です。でも、ダイバーシティは人と人との世界の完成形じゃないと思えます。

 世界の調和とは多分J.S バッハが完成させたポリフォニー音楽の中にすべて表現されているのではないかな、とそんな気分になる時、なんだか涙がすっとでてきます。

 J.S バッハが完成させた世界は、もしかすると世界の完成形なのではないか。

 たとえばこの曲を聴くと、みなさんもそんな気分になりませんか。


 それではまた次回お会いしましょう!


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