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Alone Again...「私と小姫について」(16/全17回)

 グラスにに注がれた濃いめのジャックダニエルを口に含む。

 一杯のウイスキーはいつでも口に含んだ時、そこから世界が少しずつ拡大し、食道を通って胃に流れ落ちる時に深さを増す。

 更にそれが五臓六腑に染み渡り、酩酊という不思議な覚醒感を精神にもたらすのだ。ウイスキーを好む人間は思索を好むタイプが多いというのも頷ける話だ。

 みゆきからのこのメールは、俺にとって読むたびに自分が試されるようなほろ苦いウイスキーのようなものだった。

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 三崎慎吾さん

 お返事が大変遅れて申し訳ありません。

 小姫とあのあと、新宿から新大久保にタクシーで移動しました。ご存知か分かりませんが、新大久保は歌舞伎町ほどの歓楽街ではありませんがチャイナタウンがあるのです。そこで朝粥をとりながら話し始めました。

 いろいろなことを話しました。

 中国時代の幼少期のこと、日本政府の残留孤児対応政策が始まって一変した身辺のこと、日本に帰国したばかりの頃のこと、そして私と小姫とが袂を分かつことになったことなどです。

 そしてもっとも大切なこととして、慎吾さんのことをたくさん話をしました。私からも、小姫からもたくさんたくさん話をしました。

 何から話をしていいのか分かりませんが、順番的に中国時代のことから話をしましょう。

 すでに小姫からもお聞きのようですが、私たちは福建省の山奥の茶畑で生計を立てる貧しい家に生まれました。戦争の傷跡はほとんどありませんでした。それでも、海沿いに当時の満州国と比較的近い場所に位置していますので、船を使って戦難を逃れてきた日本人が、私たちの代々暮らしてきた寒村にも流れ着いてきました。

 その中のひとりが私たちの母親でした。母親は福建省で父とめぐりあい、そして私と小姫を生み、育ててくれたのです。あと四人ほど兄弟姉妹がいたのですが、みな栄養状態が良くなく悲しいことに小さい頃に亡くなってしまっていました。

 現在では田舎でも火葬で葬儀を執り行う場合が増えてきているようですが当時はすべてて土葬でした。私たちの兄弟もまた、先祖が埋葬されている、山のなかのまた山の奥地に土葬されました。

 中国人は昔から死者に対しては丁重な民族でした。でも文化大革命の時に「破四旧」(ポゥ・スゥィ・チョウ)というのがありました。これは「旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を打ち捨てよう」というスローガンで、それまでの古い中国を捨て去ろうという運動だったのですね。

 私は小さい頃で政治的な意味はよくわからなかったのですが、古い中国がなくなって豊かになるのはいいことだと漠然と思っていました。

 でも小姫は違っていました。同じ家に育って同じような教育を受けたのに、小姫は中国の古き良き伝統を守っていくことに本能的にとても敏感でした。

 清明節という日本で言うお盆のような期間が昔ありました。これも「破四旧」の対象となりまして、一時共産党によって廃止されました。でも小姫は毎年いつも一人で山奥の先祖代々のお墓にお参りに行ってお掃除をして、お花を手向けていたのです。

「どうしてそんなことするの」私は訊いたものでした。

 小姫はただ「私たちがいま生きていられるのはご先祖様のおかげだから」とだけ答えました。

 今にして思えば、その考え方は小姫のあらゆる優しさに通じているような気がしてなりません。

 中国の奥地ならぬ新宿の奥地で初めて小姫と会うことになった慎吾さんは、きっと小姫を根っからの奔放な女性だと思っているかも知れませんね。

 でも、小姫の本当の姿はまるで違っていたのですよ。いえ、違っていたのではありませんでした。私は小姫が昔のままだということを長い長い話の中で何度も何度も再確認したのでした。

 小姫から聞きました。慎吾さんは小さい頃にお父様からの暴力にあっていたそうですね。過去のこととは言え、肉親からの暴力は一生後をひくと言います。言葉にすると通り一遍になってしまいますが、本当に大変なことだったと思います。

 小姫は父親のことが大好きで、父親のことばかり人にしゃべります。きっと慎吾さんにもそんな風だったと思います。だから、これから話すことは慎吾さんにとってとても意外なことでしょう。

 小姫は、日本に来てから父親が死ぬまでの数年間、父親からひどい暴力を振るわれていたのですよ。さすがに女の子なので父も遠慮の心があったのでしょう。顔に手を出したことはあまりありませんでしたが、服の上から殴る蹴るなどは日常茶飯事でした。

 私も暴力を受けましたが、それは妹小姫の1/10程度だったと思います。

 小姫はそれでも、父のことを人に語るときには、そんなことは微塵も感じさせないのです。たまたま横にいたことも何度もありますが、小姫は楽しそうに父の思い出を人様に話します。私にはそれが不思議でなりませんでした。

 私は、早くこの家を出ないとだめになってしまう。そういう思いを日、一日と募らせていました。そして高校を卒業するとすぐに年齢を偽って水商売で生計を立てるようになりました。

 私はその目処が経った時に、小姫を誘いました。私は当然小姫はすぐに来ると考えていたのでした。だってそうでしょう。そんなことは当たり前だと思い、私は早く小姫を引き取れるようにと毎日懸命に男の人相手に働いたのでした。

 理由を聞くと小姫はこう答えました。

「私が出ていくと、本当のお父さん、爸爸(バーバ)のことを知っている人が一人もいなくなってしまうから」

 少し説明が必要ですね。

 父は中国では茶畑を運営管理していましたが、中学校の国語、つまり中国語の教師もやっていました。生徒からの人望はとても篤かったようで、家にもよく生徒さんが遊びに来ていました。私たちもよく遊んでもらったものでした。子供ながらに、父が普段尊敬されていることがとても感じられて、なんだか誇らしかったものです。

 父の虐待は日本に来てから始まりました。それまで大きな茶畑を運営管理し、学校では生徒たちに人気のある人望厚い教師であった父でした。しかし日本に来てからは、一生懸命日本語を学んでも職場で仕事をするには十分でなく、次第に父は無口になっていきました。

 仕事も首になり、ハローワークにも登録しましたが現実は厳しかったようです。やっと見つかった夜間のビル掃除も、言葉がうまくしゃべれないことから同僚と休憩時間に口論になり、カッときた父は日頃の鬱屈した気持ちがたたって相手を傷つけてしまい、警察沙汰となったりもしました。

 そういえば、あのときも父を迎えに行ったのは小姫だけでしたね。その頃は母も私ももう、父親には半分愛想を尽かしていましたから。

 小姫はそれでもこう繰り返していました。

「爸爸(お父さん)は日本語ができないだけだよ。中国語はすごいんだからさ。小姫は今でも爸爸がみんなに中国語の先生として尊敬されていたことが誇りだよ」

 初めはそれでいくぶんか慰められていた父も、度重なる日本社会との衝突で段々と余裕がなくなっていったのです。そのはけ口は中国語で怒鳴り散らすことができる家族へと向かいました。日本人と日本語で喧嘩はできません。中国語でケンカをすれば、意味不明で、なおいっそうよそ者として馬鹿にされるだけでしたからね。

 暴力はまだよかったのかもしれません。ある日私が高校から帰ってくると、先に帰宅していた小姫がすごい叫び声を出していました。日本語で言う「たすけて」ですね。

 何事かと思って玄関から部屋に入った私は呆然としました。父が小姫に馬乗りになって制服を乱暴に剥ぎ取ろうとしていたからです。もちろんお酒にかなり酔ってはいたようですが、父親としてあるまじきことの一線を超えてしまおうとしていたのでした。

 私は後ろから父を突き飛ばしました。日本間のふすまの角に頭を強く打って父は昏倒しました。私はすぐに小姫に「大丈夫なのね」と確認しました。

「小姫、まさか…。これ初めてのことだよね」

 小姫は曖昧に笑ってそのまま泣き崩れました。

「もう、いい加減この家を出よう」

 その時もそう言いました。

 小姫の答えはいつもと同じでした。

「そんなことしたら、あのみんなに尊敬されていたお父さんのことを知っている人が一人もいなくなっちゃうよ」

 そう言って小姫は無理に笑顔を作るのでした。


 考え方の相違として済ませられることではありません。そして小姫と私との間に段々と溝ができていったのも確かでした。

 私はとにかく古い中国、後進国の中国、そして日本社会に適合できない父親を捨てて、早く自分の幸せをつかみたいと思っていました。

 でも、小姫はまったく逆だったのです。

 古き良きものを大切にして、先祖を敬い墓を守り、必死で前進していこうとする中国と古き良き中国との摩擦をなんとかしようと考え、日本に帰化したずべての中国人が幸せになるように真剣でした。

 私は、自分の幸せのことしか考えてなかったですし、いまでもそうです。でもあの子は違うんです。見た目ややっていることとは全く違うのです。

 ひとつ大変印象に残る言葉があります。「私と小姫」の決定的な違いと言ってもいいでしょう。

 私は常日頃小姫にこう言っていました。

「小姫が古き良きもの、自分を育ててくれた父親を大事にするのはよく分かる。でも、自分にとっていちばん大切なものは自分の幸せでしょ。古いものはどんどん捨てて、ううん、捨てたくなかったらその過去があるから今の自分も将来の自分もあるんだからって思えばいい。どんどん前を向いて、幸せをつかんでいこう」

 小姫は素直ないい子でしたが、この言葉だけには従いませんでした。あるときは、あの子にしては珍しいことですが、はっきりとその考え方を否定しました。

 議論をすれば私はあの子の頭の回転と頭の良さには、実はついていけません。それもあってでしょう。議論をするのとはべつの言い方で、自分の考え方を教えてくれました。

 あの子は私にこう言いました。

「人を利用しちゃいけないように、過去の大切なことも利用しちゃいけないんだ。私はどうしてもそう思える。大切な歴史や、大切なご先祖様のお話、お父さんの思い出、そのどれも一つの生き物なんだ。だから私は私のためなんかに、そんな大事なものを利用したくない。大切に守って、一緒に生きていきたい。過去も思い出もなくなった昔のことじゃない。いまでも生きていくために絶対に必要なことだし、忘れちゃいけない。みんなが忘れてしまったとしても、最後の最後まで私はそのことを忘れない。だってそうじゃなきゃその人達があまりにもかわいそうだから」

 言っていることはとても良くわかりました。すばらしい透徹した考え方だと思います。でも同時に、世俗にまみれた凡人の私にはとても無理だと思えました。

 静かにこの言葉を語っているときの小姫は、まるで古代中国の賢者のようでした。


 あの子が新宿的特许权に足を踏み入れたのも、悪の道に惹かれたからではないのですよ。蛇頭の力は中国人全員が幸せになるためには避けて通れないひとつの必要悪だと冷静に判断したからなんです。

 小姫は生まれつきの美貌もありましたし、いざとなると度胸もあります。頭の回転も早いです。小姫が蛇頭のお気に入りとして裏社会で特別な寵愛を受けるまでに、それほど時間はかかりませんでした。

 覚えていますか、慎吾さん。私は「新宿的特许权」には絶対足を踏み入れないでね、と言いました。

 それは、もちろん慎吾さんの身の危険を案じたということもありました。しかし、黙っていましたが、表の歌舞伎町にまで伝え聞こえてくる小姫の噂と、もしかしたら偶然出会うことになるのかも知れない。そんな恐れがあったからなのです。

 そしてその恐れは的中しました。

 あの一夜、たった一夜に何があったのかは、小姫の口からすべて聞き出しました。私が慎吾さんのことを好きだったことに、慎吾さんの方では気が付かないでいたこと。だから、あの日私たちの間では哀しい行き違いが何十にも重なってしまったこと。そういうことも私は初めて理解しました。

 話を小姫の口から聞けて本当によかったです。でも小姫は必死に隠そうとしますが、小姫と出会ったあなたが急速に小姫に惹かれていったことも同時によく分かったのです。

 

 私にとって小姫と話ができたことはとても良かったことです。そして、またいっそう、自分との違いを認識しました。

 私の思いは変わりません。慎吾さんのことが好きです。あかりも慎吾さんのことが実は大好きです。慎吾さんがいつもお店に持ってきてくれたお花があったでしょう。私はあれを支配人の篠崎さんに、いつももらっていたのです。

 家に帰って、慎吾さんの話をしながらあかりと一緒にドライフラワーにしていました。そして、いつかこの仕事をやめて、慎吾さんとあかりと私の三人で小さなお花屋さんを開きたい、そんな夢も勝手に膨らんでいました。

 あかり にははっきり言いませんでしたが、あかりはきっとそのことを感じていたのでしょう。あの日あかりは、誕生日のケーキのまわりに、それまで作ったドライフラワーをすべてきれいに並べて、朝、保育園へと向かいました。

 慎吾さんと三人でお花屋さんごっこをしたかったのでしょう。そして将来本当にお花屋さんが三人でできたら、それがどんなに幸せなのか。それを子供なりに想像していたのかも知れません。

 でも、すべては私の空想でした。

 神様は容赦ありませんでした。

 ボタンの掛け違いが生じている間に、あなたは私以上に好きな女性と巡り合ってしまった。

 そして、それは私の最愛の妹小姫だったのです。


 どうしていいのか、まったく分かりません。

 誠実でない態度だとは思うのですが、一度すべてを整理するためにあかりと新しい生活を始めようと思います。

 小姫の連絡先は私もまだ知らされていませんが、話を聞くと私たちの生まれ故郷のはずですから、住所はわかります。もし、慎吾さんが知りたければいつでも言ってください。

 私は、それを隠したりしません。

 目の前にいる自分の最愛の人のためならば、自分の幸せすらも平気で差し出す小姫でした。私もそんな素晴らしい妹からひとつでも学びたいと思うのです。

 だから、慎吾さんにとって小姫と結ばれることがあるのならば、そのお手伝いを喜んでしたい、そんな気分なのです。あの子は普通の良い子じゃないのです。天使のように良い子なのです。私は肉親の中にはもちろん、他の中国人の中にもあんな子は見たことがありません。

 

 私は小姫と慎吾さんのおかげで、もしかすると、自分の幸せしか望まない人間から、別の何者かに変われるのかも知れません。

 その時、小姫とまた本当の中の良い姉妹になれるのかも知れません。

 そして、いまはまったく見えないこの三人の関係の行き着く先が、分かるかもしれない。そんな気がするのです。

 それを教えてくれたのは、慎吾さんと小姫のあの一夜の汚れのない愛でした。少なくとも、そのことにありがとうといえる自分がここにいます。

 また会う日まで、ごきげんよう。

劉 紫涵(リュウ・ズー・ハン)


 まだ、今、俺はすべてのことを受け止められない。

 いつか時が、この難問を解決するのだろうか…。少なくとも小姫の態度は、身を引いたという生易しいものではなかったのだった。

 俺は、更に酒を注ぎ足すために、台所へと向かった。


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