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【長編小説】真夏の死角60 租界紳士の真実

 アイデルバーグに連れられて、田久保は渋々ながら、カジノへと続く秘密階段を降りていった。人がやっと通れる程の木造の階段で、もともとは倉庫か何かだったらしい。しかし、おそらくこの喫茶店の敷地外から掘削したのであろう。

 アイデルバーグが地下室の重たい金属製の扉を内側に押し込むように開けると、そこは、まさに異世界、カジノ租界だった。

 面積はおよそ、小学校の体育館の数十倍。東京ビッグサイトなどのビジネス向けの展示場レベルの広さがあり、そこには人がうごめいていた。下手すると、神奈川県のハズレのこの小さな町の人口以上の人間がここにいる。

「おどろきましたか」

 アイデルバーグが微笑みながら田久保に話しかけた。美姫と慶次は子供が口を挟んではいけない、とばかりに神妙にしていた。しかし、それでも自然と半開きになっていく慶次の口に気がつくたびに、美姫がうしろから下段蹴りを入れて気合を入れていた。

「この地下にホテルもあります。食料は関係者だけが知っているいま来た通路とは別の所から、常時運び込まれています。インターネットも完備してますし、郵便その他の通信手段も問題ありません。また、クリーニングサービスなど生活に必要なものすべてもこの地下に揃っていますので、帰る予定がないのだったら一生この地下のパラダイスで暮らすことも出来ますよ」

 田久保は警察官の本能として、警察が絶対に知り得ないこの場所が一つの街として実際に機能しているらしいことに言いしれぬ危機感を持った。

「ここで暮らしている人間がいる……」

「ええ。よくホテル住まいという言葉を聞きますね。つまりあれは、ホテルを一歩も外に出ないとしても、完全にそこで暮らしていけることを意味しています。別に窮屈でもなんでもない。帝国ホテルのスイートを50年借り切って、必要なものはすべて外から持ってこさせる。客ともホテルで面会する。最高の食事に最高のバーもある。わざわざ帝国ホテルから新橋駅前の雑踏まで出かける必要などまったくない。仮に新橋駅前の吉野家の牛丼が食べたくなったら、持ってこさせればいいだけですから」

 田久保はうなずいた。

「というと、金持ちばかりということですな」

「いや、そうでもありませんよ。中国のお役人さんが多いですが、例えば中国の地方公務員ですと幹部クラスでも日本円で年収は4-6百万です」

「そういう人が大勢ここにいると……」

「ええ。しかし、地方とはいえ幹部クラスになると中国では賄賂で年間1-2億円もらうのは当たり前です」

「そうらしいですな。額までは知りませんでしたが」

 田久保は話がなんとなく見えてきた。

「今田久保さんは何かを想像しましたね」

「ええ。ここはつまり、賄賂という非合法な金の受け渡し場所になっている」

「その通りです!さすが田久保さん!」

 アイデルバーグはまるで、クイズに正解した回答者に賛辞を送るように指を鳴らしたので、田久保は少し不快になった。

「もともとは、マカオがそういう場所だったんですが、習近平の反腐敗運動でマカオの取締はきつくなったんですよ」

「マカオでの闇金の取り扱いができなくなったので別の場所が必要になった」

「その通りです。それが、ここですね。だから、中国中の役人が日本の神奈川県のこの、日本人が誰も知らないこの場所を知っています。知らないのは日本人だけで、ヤミ金融の世界ではこの場所はすでに一つのランドマークですよ」

 田久保は苦虫を噛み潰したような顔を思わずしてしまった。つまり、そんな場所がここに存在するということそれ自体が、日本の治安維持・警察機構そのものが、まったく役になっていないことを意味するからだ。

「気にすることはありません」

 アイデルバーグはまたしても、田久保の頭の中に浮かんだことを見透かすように言った。

「なぜです。少なくともこれは犯罪だし、インターポールと連携して捜査するレベルの国家規模の犯罪ですよ」

「だから、気にしなくて良いんです」

 田久保はからかわれているのかと思い、思わず感情を表に出した。

「気にしなくていいって、どういうことだ!」

 田久保の大声に、美姫と慶次は飛び上がらんばかりにびっくりして、思わず身を縮こめた。

「だから、いいんです。これは、日本国総理大臣も全部しっていることです」

「なんだって!日本の総理大臣がこの場所を知っている……」

「ええ、場所を知っていますし、何をしているかも全部知っています」

「……」

「これから、そのからくりを全部お話しましょう。その前に少し遊びましょう。せっかくの東北帝国の金塊です」

 アイデルバーグはそう言って、ツアーコンダクターのように左手をかざして、チップ交換場所を指さして、勝手に歩き始めた。

「まずは、この場所を体験することも大事かと思いますよ」

 景子が柔和な顔をして田久保にとりなすように声をかけた。

「美姫ちゃん、慶次君、行きましょう」

 景子がそう言って二人の背中を押したので、田久保もしかたなくその後に続いた。

 

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