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【文芸部門純文学小説担当みこちゃん分】Norikoさん「踏み切りが開いたら」
処女作とのことですが、文体に迷いがなく、かなりいいなという印象でした。
「手押し車の婆さん」「無駄になった息苦しさ」短い描写の中に、作者が何に注目したかがはっきりと読み取れる。手押し車で気丈に外を出歩くおばあさん、交通マナーの悪い人間には侮蔑の目も向けるだろう。主人公が結局踏切を渡れなくて、息苦しさが徒労感によって倍増された様が見事に描写されている。人物造形が巧みだ。
処女作とは思えない。熟練の技を感じる出だしだ。
展開部分では、主人公のいらだちが、踏切を渡れなかったことに象徴されているだけで、主人公のいらだちはもっと根深く、かつ、つかみどころのないものだということが分かる。いらだちとは得てしてそういうものだ。もし、これが主題だからといって、ここから小説が始まっていたらどうだろうか。残念ながらそれは、非常に薄っぺらい小説になる。
いらだちとは、何をやっても何だかわからないけどうまくいかない、そういうものだからだ。その意味で、出だしを上手く主題が引き継いでいると言えるだろう。
おばあさんが差し出した黄金糖によって、主人公は自分の苛立ちの出処を知る。
そして黄金糖の甘さを通じてその苛立ちは、静かに癒やされていく。
見失っていた本当の自分を思い出すことによって、競争に勝つこととは違うやり方で、母の思い出とともに心は平穏を取り戻していく。
欲を言えば、ラストに一工夫あっても良かったような気もした。
大丈夫。
暗い中も、お天道さんはいつも俺の上にある。
続けて、こんなのはいかがでしょう。
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踏切の音がして振り返ると、電車が通過するところだった。
電車のライトに照らされて、左手の上の黄金糖がまるでなくなった母親が自分に微笑みかけるように暖かく光った。
帰ろうと思った。
再び前をむくと、老婆の姿は消えていた。
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みたいな感じ。
締めの部分と冒頭の部分とを踏切を軸に対比させ、わずか5分程度のうちに、そう踏切を渡る前と渡った後で、主人公の心境が180度変わったことを印象づけるのも一つの手かなと思いました。
この視点を導入すれば「踏み切りが開いたら」 というタイトルとの呼応も出てきて、タイトルが引き立つという効果もあると思いました。
全体として、すばらしい純文学作品だと思います。
優れた処女作が、多くの人の目にふれる前に読めるっていうのは、批評する側の大きな喜びです。Norikoちゃん読ませてくれてありがとう!
— みこちゃん (@cloudbrainz) July 14, 2021
(^▽^)
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