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いじめに問題に思うこと

 みこちゃんは、ツイッターではけっこう時事問題などについても吠えているのですが、noteではあまりしませんが、この問題は関心があります。

 最近もいじめに関する小説を書きましたし、度々書いております。

 いじめというのは、誰が犯人だかわからない、特定できないというところに特徴があると思います。その本質は責任逃れなのです。冗談でからかっただけだよ、という逃げ道を用意しておいて、ひとを傷つける。相手は死ぬほどいやだ。実際に命をたってしまう子も大勢います。

 気に入らないからぶん殴って、相手を死に至らしめた。これは犯人がわかりますので、その子はそれ相応の処分を受けます。未成年だと終身刑はありませんが、成人していれば一生刑務所ですよ。いじめは犯罪なんだけど、犯人が特定できない。雰囲気で集団でやっている。

 暴走する若年層の集団を管理監督しないといけないのは、学校なわけですが、これまた、嘆かわしくもまったく同じ構図。担任は知らなかった(知ろうとしなかっただけ)、校長は報告を受けていなかった(めんどうな話持ち込むなオーラで教員がしないだけ)で、責任のたらい回し。

 つまり当事者がいない!これが、世の中全体の病理になっている。子供社会の病理は大人社会も同じです。

 喧嘩するならどうどうと、しようや。

 ジャイアンはのび太をいじめたかもしれない。でもあれは、現代社会のような陰湿ないじめではない。ドラえもんの道具でパパパーと撃滅もあるし、静香ちゃんが、ジャイアンそれはないんじゃないとか、スネ夫が、もうジャイアンにはさすがについていけないよ、とか、そういうのがある。

 ジャイアンも時には「のび太悪かったな」「ジャイ子はお前のことが好きみたいだ、よろしくな」(涙うるうる)みたいなのもある。

 みんなで、徐々にいい方向というのが昭和にはあったのだろう。

 今はないよ。

 大人も子供もみーんな逃げるだけ。もっとひどいのは、逃げ道用意して攻撃すること。

 noteでもありますね。
 あらかじめブロックしておいて、さんざん人をこき下ろす手口。こき下ろす前に反論できない状態にしやがる。しかも指摘すると、こっそり記事を下書きに戻す。喧嘩するなら責任持ってやりなさい。堂々とあたしを刺しなさい。ただし、刺されれることも覚悟してね。あたしは喧嘩が強いよ。でも、それがフェアってものよ。

 社会的病理には一定の法則性がある。

 責任を持って、信念を持って何かをするなら、相手も責任と信念を明らかにできる。それを闇の中にうやむやにする風潮はよくない。大人も子供も。自分が対処できないとなると、友だちを見捨ててけつまくって逃げる人間ばかりだ。それも、責任の欠如。そしてけつまくった安全地帯からなんかエラソーなことを終わった後に言う。

 こんな社会はいったん壊さないといけない。

 本気でそう思います。

 今日も白おパンツ丸見え!

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