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Alone Again...小姫というみゆき(6/全17回)

「みゆき……」

 俺は思わず目の前の女にそう言った。
 女はどこからどこまでもみゆきにそっくりだった。

 輪郭は日本でいう瓜実顔だが、頬には健康的な柔らかい肉が付いており、顎は調和の取れた曲線でキュッと締まっていた。目は存在感のあるアーモンド型の垂れ目で、奥行きがありながらもその奥底に暗い色はみあたらない。

 男に媚びるようなぽってりした唇は、程よく左右に広がり、その先端はまるでぬいぐるみのこぐまのように、形の良い顎に吸い込まれている。

 なで肩でありながらも胸は豊潤であり、その上半身のアンバランスさを、腰のくびれがしなるように受け止めている。

 弾力性を帯びた腰つきは、それ自体が独立した生き物のようであり、コートの下に見え隠れするチャイナドレスの下半身に、奔放に優美で、エロティックな曲線を間断なく作り直している。

 その腰が動くたびに、チャイナドレスの織りなす皺はさざなみのように揺れる。そこから中華風とフランス風の香水が、自身の肉体の持つ女の体臭とまじりあい、迸るように周りの男の鼻孔を擽るのだった。

 スリットから覗く脚のふくらはぎは完璧な厚さで太ももを支え、しゃがんでもそこに、貧相な骨や貧乏くさい青色をした静脈など浮かび上がるはずもない。

 脚にも艶めかしい肉はたっぷりと、惜しげもなく使われている。しかし、そこに思わず手を触れて揉んだときの弾力性は妄想できても、太り過ぎで不格好だという気持ちを抱かせる要素は微塵もなかった。

 足先は靴に隠れて見えないが、上から下まで舐めるようにその体を想像した後は、ただひとつだけだ。

 ベッドの中で肌と同じ色のストッキングを無造作に脱ぎ、俺の腰の動きに合わせて、その足先が暗がりの中で、俺の与える快楽に絶えきれずギュッと引き締まる姿だけだった。


「ずいぶん人のことをジロジロみるのね」

 日本語のイントネーションもまた、みゆきそっくりだった。

 声色も高すぎず低すぎず、ましてや煙草で咽頭がいがらっぽいノイズをたてるようなこともない。

 喉から口を通じ、外気に声となって現れるその日本語自体が、俺の耳に届く時、俺の耳はみゆきの唇でいったん塞がれるようだった。

 その声の美しさに耳と体中の神経が甘美に麻痺した刹那、今度はみゆきの発する言葉を受け止める。あたかも最高級のワインを唇移しで口に流し込まれたような、男を溶かすうっとりとした快楽が、みゆきの発する言葉には確かにあった。

 この女のしゃべり方もそれとまったく同じだった。


「ああ、すまない」

 俺は観念して、透明人間ごっこをやめることにした。

「君にそっくりの女を知っているのでね。あまりにもそっくりでびっくりした」

 俺はそう言いながらもまだ、みゆきが何らかの事情で子供を家に残し、新宿的特许权にタクシーで駆けつけ、俺の前に現れて演技をしているのではないかと思えて仕方がなかった。

「そう、なんていうの、その私に似ている人」

「みゆき」

「そう、平凡な名前ね」

 俺はそれを聞いて少し不快に感じた。

「君はなんて名前なんだい」

「シャオ・ヤン」

 女はネイティブの中国語で言った。

「漢字は小さな姫、小姫 と書くわ」

「中国人か……」

「母親は日本人よ、それで一家揃って日本に来たってわけ」

「中国残留孤児……」

「そうね。中国にいれば日本人って言われるし、ここに来たら中国人。疲れちゃうわ」

 中国にいれば日本人って言われるし、ここに来たら中国人。

 まるでこの新宿的特许权そのものだなと、俺は思った。日本にいるのに中国。中国語が飛び交って自治組織もあるのに日本……。

「ねえ、立ち話ばかりで疲れちゃうわ。どこか落ち着けるところ行かない?」

 いきなり来たか……。俺は内心苦笑した。

「何考えてんのよ。エッチなことは今はまだいいのよ。私これから、できたばっかりの新宿的特许权カジノに行くの。私も初めて行くんだけど、お店の常連さんに携帯電話で呼び出されちゃってね。本当は興味がないんだけど、行かなくちゃいけないんだ」

 小姫と名乗った女は心底迷惑そうな顔をして唇を尖らせた。こういうコケティッシュな顔は、そういえばみゆきはめったにしない。したとしても、男へのリップ・サービスのようなものだった。

 俺は話をしているうちに、みゆきが演技をしているのではないかという気持ちが徐々になくなっていき、やがてゼロになった。

 みゆきの清純さ――キャバ嬢に清純さというのはおかしな言い方かも知れないが、みゆきにだけはそれが許されるだろう---これを取り除いて、その代わりに男への図々しさを移植すれば、小姫(シャオ・ヤン)になるのかもしれない。

 この図々しさは、しかし悪くない。馬鹿な女が図々しいと辟易するだけだ。しかし、このように美しさの極限とも言える美を体現した女にとってそれは、男に対する、ある種の奔放な媚薬の官能性をもたらすといってもいい。

「ねえ、一緒に行こうよう」

 小姫は、俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。

 言葉の媚薬は、香水と小姫の持つ体の臭いと相俟って、俺の脳髄を麻痺させる。

「しかし、男に呼ばれたのに、俺と一緒に行ったらまずいだろ」

「いいのよ。私が一筋縄でいかないことくらい知っているから。『俺の女に何をする!』みたいなことはね、プライドの高い人だから口が裂けても言えないの」

 俺は呆れて声を立てて笑った。なんだか未だ見ぬその男に同情の念すら抱いた。しかし、小姫の魅力には抗えないのだろう。それは同じ男として俺も認めざるを得なかった。

「いいだろう」

 俺は答えた。

「その代わり条件がある」

「は?」

 こういう素のまんまの聞き返し方。こういう可愛いところはみゆきにそっくりだ。おれはそう思ったついでにその勢いも借りて、図々しい条件を出した。

「君と行動している間、俺は君のことを小姫(シャオ・ヤン)ではなく『みゆき』と呼ぶ」

 しばしの沈黙があった。

「あきれた、男だなあ……」

 小姫は小動物のような愛くるしい顔に、小動物のような丸い驚きの眼を作った。かわいいと俺は思った。

「おにいさん、よっぽどその女が好きなんだね」

「ああ。それから、俺のことはおにいさんじゃなくて、シンゴさんと呼んでもらう」

「あははは」

 小姫は、気持ちよさそうに笑った。

「いいよ。この小姫もなめられたもんだなあ……。この私をそこまでバカにしたのはシンゴさんが初めてだよ」

 小姫はわざと低い声で脅すような言い方をした。しかし、一生懸命低い声を作ろうとしているのだが、あの媚薬のような声質は変わりなかった。

 そのため、演技でしぶい表情をしているのが全体の雰囲気から浮き上がって、それがなんだか無性に可愛くて抱きしめたくなってしまった。

「なんだか、シンゴさんのことが気に入ったよ」

 小姫は、本気でそう言ってくれたようだった。

「私からもお願いがあるの」

「まだあるのかい」

「うん」

 そう言って小姫は、ジャンプするように体を俺に投げ出し、あの肉感的な唇を俺の唇に重ねた。

 俺は衝撃を受けた。

 しかし、その快楽にすぐに溺れた。

「シンゴさん」

 小姫が唇を重ねながら、小さくつぶやいた。この女は、俺に言わせようとしている。俺はその気持がよく分かった。

 ありがとう小姫……。俺がまだ、みゆきと唇づけすらしていないことを見抜きやがったな……。とんだ魔性の小娘に魅入られたもんだ。

「みゆき」

 俺は小姫の腰に手を回して体をひきつけ、なお一層狂おしい口づけに己を忘れたのだった。

「好きよ」

 小姫はそう言った。

 俺にはそれは、みゆきのふりをした演技ではなく、小姫の声のように聞こえた。


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