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【長編小説】真夏の死角 39 ある遺書

 そういえば、僕は手紙というものを初めて書いたのだった。

 幼い頃から葉書はたくさん書いていたんだ。数えたことはないけれど、多分そうだな、きっと何万枚も書いたことがあると思う。何万枚もはがきを書いたことのある少年はきっとめずらしいよね。だから、君はもしかしたらそれを僕の冗談だと思うかもしれない。でも、それは冗談なんかじゃないんだ。うん。僕は君に会ってから良く冗談を言うようになったけど、もともと冗談なんて言える人間ではなかったんだ。なぜなら僕の人生そのものが最初から冗談みたいなものだったから。

 ねえ、分かるかい。冗談のような人生は悲惨な人生ではないんだ。何というかな、生きているリアリティがいつもなかった。

 僕の生まれた家は、岩手県奥州市の散居村で新潟県の千枚田まではいかないけれど、少し山の方に行くと大きな棚田がまるでジオラマのように広がっているところだった。いわゆる観光名所ではないんだけど、とてもいいところだよ。段々になった田んぼが不思議な曲線を描いていて、それは朝も、昼も、夕方もそれぞれに表情があって、春夏秋冬に草や虫などが思い思いに自分の生を楽しみ、独特の表情を見せてくれる。

 その田んぼのあぜ道や、軽トラックがやっと通れるような曲がりくねった坂道を、ランドセルを背負って十人くらいの小学生が学校まで行って帰ってくる。道路脇の昭和の頃のもう売られていないような商品の錆びついた看板も撤去されることがなく、はるか昔に架けられたコンクリート打ちっぱなしの小さな橋もプレートに橋の名前が書いてあるんだけど、だれもそこが何ていう橋なのか知らない。きっと、その橋を架けた土木工事の人も知らないだろう。いや、きっと流れ者の土木工事のおじさんはきっと、自分が若い時に名も知れぬ小さな村の端を公共工事の一環として作ったことさえ忘れているだろう。

 集落はそんな中にぽつんぽつんと点在していて、普段はあまり行き来もない。小学校は近くにもちろん一つしかなかったから、子どもたちはみんなそこから朝学校にやって来る。

 だから、散居村の何処で何が起きているのかを一番知っていたのは実は僕たち小学生だったんだ。どこどこの生まれそうだった子供が生まれたとか。どこどこのおじいさんの病気はいよいよ悪いようだとか、あのきれいなお姉さんは今度お嫁に行ってしまうので、もうこの村には帰ってこないんだとかね。

 それでも世の中の動きはテレビで分かる。さすがにそんな村でもテレビはあるからね。

 そして、時々僕たちの村に、いや、正確には僕の家には珍事が定期的に生じていた。珍事が定期的にっていうのも何だかおかしな話だけど、そうだな、やっぱりそれは定期的だったんだ。

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