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【短編小説】かつて「銀座」という街があった


 銀座という街が、いつしか日常になっていった。

 はじめは、銀座で働くということがとても特別なことに思えて、駅の改札口を抜けてみゆき通りの店に行くまでに、いつも心が華やいだ。

 ここは特別な場所なのだ。それは確かに間違いがなかった。私が働いている店には、テレビでしか一生お目にかかれない人がいっぱい来ていた。

 いわゆる著名人との話は楽しく、こちらから無理に話を合わせる工夫などもなかった。もちろん最低限のマナー、気配りなどは徹底的に店から叩き込まれるのだけど、時にはお客様の方から会話をリードしてもらうことも、しばしばあった。

 考えてみればお客様は、昼間はものすごく高い社会的地位をお持ちで、銀座のホステス以上に、たくさんの方々とお会いになっている。それを忘れて楽しい夜を過ごしたい。そこに賢しらはむしろ禁物だ。

 そんな私の態度が気に入られたのか、随分とたくさんのご指名をいただいた。

 同伴やアフターでお客さんに連れて行ってもらう店も増え、いつしか銀座は自分の庭のようになっていった。

 銀座がまるで自分の住んでいる駅のようになっていく中で、私の心のなかになにか違和感もあった。銀座が特別な街から、だんだんと自分の仕事場になっていく。その中で、銀座の特別な感じをどうしても自分の中に残したかった。

 それは、自分だけの隠れ家を見つけることで保つことができた。

 銀座の並木通り沿いにその店はあった。さほど大きくないはずなのに、店内は洞窟のような迷路で、とても奥行きを感じた。テーブル席の位置は他人と目の高さが合わない作りになっていて、オーナーの細やかな心遣いが感じられた。

 中央のステージでは日替わりで、生バンドの演奏と歌が、月曜日はシャンソン、火曜日はジャズ。曜日毎に変わる趣向だった。

 仲間内の「暗黙のルール」で、決して「仕事関係の人間」は連れて行かない。一晩で一人何十万のお会計を処理する自分が働く店と違って、ここはおいしい料理を食べて、せいぜい数千円だ。

 そんな店を私たちは大切にした。華やかでたくさんのお金が使われる場所ではなくて、逆に、華やかでたくさんのお金を使うことになれた仕事関係の人間を連れて行かない場所。それが私の中で、特別な銀座になっていったのだった。

 私たちはそれを大切にした。仕事仲間を連れて行かないこと、どうしてそこが大切な場所なのかは、あらためて口にしたことはない。仲間はみんな、そのことを分かっていたから。

 あの頃の銀座には色気があった。古い言葉で言えば「粋」だった。

 今はブランド店などが 派手な装飾でゴチャゴチャと並び、なんとも品がなくなったなと思う。

 あの店は まだあるのだろうか。数十年たって、銀座のふるさとのようなあの店のことを思い出した。今度の日曜に、並木通りに行ってみようか…。

 夜の銀座に行かなくなって、もうどのくらい経つのだろう。

 そんな思いを、ある日noteで書いてみた。

 そうしたら、そこで働いていた人からコメントがあった。私たちが心の中の大切な、特別な銀座をひっそりと守っていたその頃。その人はあのレストランで働いていたそうだ。

 あの店は、まだあるそうだ。

 心のなかで、蛍光灯で飾られた最近の銀座を上書きするように、静かに暖かい白熱灯のような灯火がともった。

「もしかすると、あなたの作ったカルボナーラ食べたかもしれませんね」

「そうですね」

「いい店でしたね」

「はい。ありがとうございます」


 かつて、銀座という特別な街があった。

 今日は特別なことをしてみよう。


「今日はカルボナーラにしようね」

 息子に言った。

「ついこの間、僕の誕生日祝に、高級なイタリアンの店で食べたじゃないか」

「今日はもっとそれより特別なイタリアンを、お母さんが作るよ」

 自信満々な私に、息子は少し戸惑いながら、あいまいににこっと笑った。


 銀座時代には決して言わなかった言葉。

「人生捨てたもんじゃないね」

 自分の心の中でだけつぶやいてみた。


 特別なカルボナーラ。

 あの店の銀座のイタリアンを今日はここに作ってみせる。

 私のこころが、深く華やぐように幸せに、ドレスのように静かに舞った。


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