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【長編小説】真夏の死角68 十億円愛人報酬と日本人抹殺計画

「日本のタレントさん、女優さん、アダルト関係のですね。招かれる人はお多いんですよ、中国は」

 景子は気負った様子もなく、ごく自然な口調で話し始めた。その話し方に田久保を始めとして、まだ高校生の美姫、慶次がほっとしたのはもちろんのことだった。

「知ってますよ。蒼井そらって中国で人気だって聞いたことあります」
 槇村慶次が場を和ませようと、おどけた口調で笑いながらそう言ったが、無理して陽気に振る舞っている様子は明らかだった。

「さすが慶次はアダルト関係は詳しいのだな」 
 美姫が続いて場の空気を和ませようとしたが、あとが続かなかった。慶次もいつものような合いの手を入れることができず、妙な沈黙が場に流れてしまった。

「そうね、蒼井そらさんもそうだし、亡くなった飯島愛さんも中国では大人気だった」

「それを遥かに上回るすごーい人気が、澤田さんでしたね」
 アイデルバーグが珍しくサービス精神を発揮して、場の空気を和ませようとしている。アイデルバーグは日本人ネイティブと変わらない日本語を喋れるはずだが、イントネーションが妙にたどたどしく、わざとおどけてやっているのは明らかだった。アイデルバーグは案外と良いやつなのかもしれない……、田久保は一瞬だけそう思った。

「いえいえ、私は表ではそんなには……。彼女たちは招かれれば空港でお出迎えの集団が数百人も集まって警察が必ず出動していましたね。私はあくまでもお忍びです」

「政府の高官にですね」

「ええ、まあ」景子はアイデルバーグに答えた。

「どんな話をしたんです」田久保が自分からも聞いてみた。

「話というよりは、私を引き連れてパーティーに参加する、ということをしたかったみたいですね」

「ほう、なるほど。景子さんを連れて参上すると、みんながうらやましがるというわけですな」

「まあ、そういうことかもしれません。私は中国語はほとんどしゃべれませんので、会話はあまり期待されていませんでした。でも誰が連れてきたか、ということで、連れてきた人は一目置かれてたみたいですよ」
 景子は外連味もなく淡々と言った。

「景子さん争奪戦か……」

「政治家同士、高級官僚や、人民解放軍の幹部の方があつまるパーティーにはよく連れて行かれました」

「面白いこともあったでしょう」
田久保は警察官として情報収集をしなければならない立場であったが、それ以上に、この話が面白くなっていた。景子からでなければ、こんな裏事情を聞く機会もないだろうから、それも無理もないことだった。

「そうですね……田久保さんが面白がる話……というと」
 田久保は純粋に話を面白がっていたが、逆に景子の方が冷静に気を使っていたようだった。

「今度国家主席も来るパーティーがあるから、そこでぜひ同伴してほしいと、中国共産党中央政治局常務理事の方に言われましたよ」

「国家主席というとあの……」

「そうですね、習近平さんです」

「なるほど……。その常務理事の方もはやり景子さんを同伴することでステータスを示したかった……」

「あるいはそうかも知れません。でも、それはどうでもいいんです。面白い話というのは……」
 ここで景子がわざと言葉を止めて、田久保に微笑みかけた。嫣然とした女の笑顔だった。こんな顔で目を見られたら、たしかに男は狂うかもしれない……。そう田久保は思った。

「面白い話……」

「ええ、十億円出すから同伴してほしいと」

「十億……」

「なんと、そのパーティー会場の中の別室に呼ばれて部屋に入ったら、日本円で十億円が現金で用意されていました。山になってましたよ」
 景子はそう言って面白そうに笑った。

「10億となると確かに……」

「いえ、私が笑ったのは本当に山に……。富士山の形にしてあったんです。てっぺんには雪景色のつもりだったんでしょう。白い絹のようなものが掛けてあって、たしかに富士山みたいに見えました」

「はぁ……」

「私言ったんですよ。日本ではお金をおもちゃにしたら怒られます。そういう美徳は古き良き中国人から日本人は学びましたって」

「あはは、そりゃいいですね。そのくらい言ってやらないと」
 田久保もまたおかしそうに笑った。美姫と慶次は笑いたそうにしていたが、話が大きすぎてついていけず、半分顔がこわばったままだった。

「そうしたら、その常務理事さんが面白いことを言いました」

「面白いこと?」

「そうです。田久保さんが面白いと思うことですよ」景子はここでまた、あの笑みで田久保を見つめた。

「私が……ですか?今までの話も十分面白いですが」

「いいえもっと面白い話です。何でしょう?」景子はいたずらっぽく笑った。

「いやあ、想像もつきませんな、私が……つまり警察官としての私が……という意味ですな。そうであれば、例えばその10億円が偽札だったとか」

 田久保はここで景子やサービス精神を発揮し始めたアイデルバーグが手を叩いて笑うことを期待していた。

 しかし、期待とは真逆にその言葉で、景子とアイデルバーグの顔が少しだけ厳しくなった。

「『おもちゃですからいいんです』常務理事さんはそう言ったんです」

「そうです、田久保さん」今度は景子ではなく、アイデルバーグが口を開いた。

「中国には今、日本経済を一瞬で麻痺させるほどの精巧極まりない偽札が大量に用意されています」

「……本当ですかそれは。いや、多少の偽札ならありえる話だとは思いますが、日本経済を一瞬で麻痺させるほどの……」

「日本銀行の総資産は715兆円です」

「そうなのですか。お恥ずかしい話ですが、私は管轄が違うので数字は知りませんでした」

「中国が保有している、本物と区別の付かない日本円は 2000兆円あります」

「2000……」

「これを市場に放出すれば、日本円の価値は一瞬にしてゼロになります。日本経済が大混乱に陥るだけではありません。極端なハイパーインフレーションが起きますので、ジュース1缶が500万円くらいになるでしょう。誰も食料品を買うことすらできなくなります」

「そんなことになったら……」

「経済の混乱だけでなく、日本人が文字通り死滅します。この地球上から日本人はいなくなると言って良いですね」アイデルバーグが感情を交えずにそう言った。

「日本人抹殺計画……」

 田久保はついさっきまで、景子の話を無邪気に楽しんでいた自分を恥じ、忸怩たる思いに突き落とされた。


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