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【長編小説】真夏の死角54 籠の中の鳥の目覚め

「正直言って混乱しております」

 田久保はそう言って、訪問先では決して口をつけない出された煎茶に口をつけて喉の乾きを潤した。警察官の習慣で訪問先で出されたものには決して口をつけない。しかしこれが単なる参考程度の事情聴取ではすみそうもないことを覚悟する意味も込めて、あえて冷えかかったお茶を一気に飲み干した。

 景子はそれに釣られるかのようにすっと奥のダイニングに立って出がらしの茶を捨てて入れ直し、魔法瓶のスイッチを押して新しいお茶を用意していた。

 後ろ姿が13階の高層団地から漏れさす陽の光でシルエットとなって浮かび上がった。その姿はとても高校生の息子がいるとは思えないほど艶めかしくもくっきりと浮かび上がっていた。

「刑事さんはかごめの歌はご存知ですか」

 リビングの玉すだれを左手で押し分け、景子が茶を入れた盆を持って再び応接間として使っている小さな和室に入ってきた。

「かごめの歌というと、あの童謡のかごめかごめ……ですか」

「ええ、そうです」

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ

 景子はまるで童女のように口元に笑みを作って歌いだした。

「もちろん、知っていますよ。よく歌ったものです。しかし……」

「ええ、すみません。それがどうしたのかということですよね」

「はい……」

「この歌は、籠の目の歌なんです」

「はい……」

 田久保は景子の意味するところが分からず、ただ景子の目を見据えて相槌を返した。ふざけていっているのではないことは明白だった。

「籠の目ってこんな感じですよね」

 景子はそう言ってすっと電話口のボールペンとメモ用紙を持ってきて、メモに籠を描き始めた。


「そっくりじゃありませんか」

「何がです」

 景子は微笑んでさっき田久保に見せた明宏が魔球の練習に使っていた魔球を再度箱から取り出してその紙の上に置いた。


「あ」

 田久保ははっとして、台紙の模様と魔球とを見比べた。

「ヘキサグラム……ダビデの星……」

「そうなんです。かごめかごめの歌は、古代イスラエルのダビデの星の賛歌だって、私は聞きました」

「なんですって!?日本人の誰でも知っているあのかごめかごめの童謡が、実は古代イスラエルの歌ですって!」

 田久保は荒唐無稽な話の中に景子の真意を探ろうとして景子の目をじっと見たが、そこには冗談めいたものは一切なかった。

「籠の目が、かごめ。そして籠の目はダビデの星です」

「いったい誰から聞いたんですか」

「京都宮津の籠神社の神主さんからです」

「籠神社……。そういう神社が現実にあるのですか」

「ええ、ありますよ。伊勢神宮に奉られる天照大神はもともとは籠神社から伊勢に移されたと言われているほど由緒正しい神社です。俗称では元伊勢と言われるほど格式の高い神社です」

 景子はそう言って手元の古いアルバムをめくった。この話をしようと思ってあらかじめ用意してあったのだろう。

 そこには、籠神社の拝殿他の境内の中の建物や建物をバックにして景子が写り込んでいる写真が多数あった。

「この横の方はご主人ですか」

「ええ。行方不明中の澤田哲夫、主人です」

「ご主人と奥様はどうして籠神社に……」

「主人がもともと大手ゼネコンに勤務していたことはもうご存知ですよね」

「はい。調べさせていただきました」

「実は籠神社は主人の仕事の関係でご縁ができたのです」

「といいますと」

「神社ですから、どこの由緒正しい神社もそうであるように、何十年かに一度大きな建物の改築があります」

「ええ。そうですね」

「それを請け負ったのが主人の会社の鹿水建設だったのです」

「なるほど、その改築の担当者、鹿水建設の責任者がご主人というわけですか」

 景子は満足そうに無言でうなずいて微笑んだ。

「でも、直接の依頼は、籠神社からではなかったのです」

「それは妙ですね。第三者が間に入っていたということですか」

「はい」

「それは、どこですか」

「口利きは代議士の小谷三郎氏です。発注元は仙台国際グローバル大学でした」

「なんですって。京都の由緒正しい神社の改築工事に中央政界の代議士や東北の学校法人が関わっていた……」

 一気に核心部分に至る真実が闇の世界を亀裂のようにつんざき、その裂け目の暗黒の黒さに田久保は眩暈を覚えた。

「背後にはカゴメの国、イスラエルも関係しているのですか」

「そのようです」

「失礼ですが、奥様はそれをどこまでご存知なのでしょうか」

「澤田哲夫の次に知っていると思います」

「……」

 田久保は再び湯呑に手を伸ばして茶を飲み干した。

「詳しくお聞かせ願えますか」

「もちろんです。そのために来ていただきました」

 景子は急須のお茶を田久保の湯飲みにゆっくりと継ぎ足した。

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