Bohemian Rhapsody

これは過去のあたし

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小さい頃からおてんばでよく家族を困らせてました。例えば壁や障子に絵を描いたり、新しく買ったテレビ裏に無理矢理入ろうとして倒したり、妹とたくさん喧嘩して泣かしてしまったり

よくいる、女の子だと思います。
壁以外にも、紙とか描いていい場所にお絵描きはずっと続いてたので、2歳くらいから江ノ島のとある、アトリエ教室へ通うようになりました。幼児期はクレヨン、水彩画、粘土、工作
週に一回。課外活動もたくさんあり、小学生からは油絵をやったりと様々な芸術に触れ、楽しかった思い出です。お陰様で今でもほとんどの創作は意欲的に取り組んだり、暇な時間に絵を描いたり、何か作ったりを楽しんでいます。

話は戻って保育園時代
自分は気が付いたらいじめられてました。
仲いい子達もいたけど、調子にのるのが幼少期
よく、周りにいろんなことでいじられてしまい悔しくて泣いたりしてました。保育園では、はしゃいだりしても、お遊戯会や発表会では照れたりしまい、基本的にチョイ役だったり脇役の脇役ばかり振り分けられていました。本当に人前に出て何かするのが苦手でした…。

年中さんのとき
母親と当時の父親が離婚しました。
ひと時の間ですが
両親がめちゃくちゃに喧嘩してたのを
今でも思い出したりします。それに、父親の印象は悪いままの思い出しかどうしても思い出せません。遊んだりしたっけ…なレベル…。
大学生の時になんとなく、どうして離婚をしたのか聞いた時に
「あの時のお父さんが子供ぽい人だったから」
と聞きました。それ以上はぼかされ?てしまい謎です。まぁ、浮気だとかDVとかよりましか…と思いましたw年中さんからは、母親、妹の3人家族になりました。当時、父親は入婿、自宅はおばあちゃん家の敷地内の別宅に住んでたので家に困ったり、金銭面的に大変になったりはあたしの目からはないように思いました。見せないようにしてくれたのかもしれません。
保育園ではシングルマザーも多かった上に珍しくもなんともなかったようなので、その事でいじられたりはありませんでした。

保育園の年長さん
卒園の年に最初、'しょうらいのゆめ'は
おはなやさんと書きました。これといってなかったのと、周りの子達もおはなやさんや、けーきやさんとかだった気がする。
しかし、この'しょうらいのゆめ'をかいたしばらく後に絶対に忘れないことが起こる。
家で夜にぼんやり絵を描いたりしながらドラマを観ている時です。動物が大好きだったあたしは動物が出てくるそのドラマをたまたま観てました。いまはタイトルさえ思い出せないのですが、犬が出てくるんです。でも、病気?で救えなく学生?が苦悩し泣いて「死なないで欲しかった…」という内容だったと思います。衝撃です。動物のお医者さんは動物の病気くらいたまごっちみたいに薬あげたり、手術したりすれば治せると確信したかのように思っていたので、ありえない!死んで欲しくなかった、なんであの犬は死ななきゃいけなかったんだろうと色んな思いしてボタボタ泣いていたら母親がびっくりしてどうしたの!と駆け寄ってきました。
あたしは泣きながら
「動物を助けるひとになりたい」
と訴えました。この日からあたしの夢はぼんやりな夢から、大好きな動物を救う
どうぶつのお医者さん、
獣医さんになりました。

どうぶつのお医者さんになる為にどうしたらいいか小さいながらたくさん考えました。何時からかやっていたチャレンジもたくさん頑張って、おじいちゃんからは書道を少しばかり教えて貰い、年長さんながら自分の名前は漢字でかけるくらいにする!とかやってました。
動物図鑑をたくさん読んで、模写して生態特徴や寿命、体長、学名を自由帳に描いて自分だけの図鑑を描いたりしてました。おじいちゃんが大好きな馬もたくさん描いたりして、色んな話を聞いたりしました。どんどん夢は拡がり周りでは自慢出来るくらい動物博士でした。
おじいちゃんの話はたくさん聞いたのに
いまは少ししか覚えてないのが悔しいですね…
おじいちゃんは自分が生まれたばかりでひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんがいた時は馬を飼って世話をしたりの話を聞いてわくわくしたりしました。羨ましい!残念ながら、あたしがどんなに家族に動物を飼いたいとお願いしても飼ってもらえませんでした…
年長さん、卒園までは小学生に備えてたくさん先の勉強を頑張りました。勉強は大好きでした。今思えば自分だけと向き合うことは得意で好きだったんだと思います。出来ることが増えれば快感でしたし、知れば知るほどおもしろいことはないと思ってました。いまでも学ぶのは好きです。

#ミスiD2019
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