Bohemian Rhapsody

2

小学生
同い年の従兄弟と登校しつつ始まった。
あたしは、1~2年生の時によく胃を痛めて保健室に行ってました。気持ち悪くなってお腹痛くなるんで、なんで~(泣)ってなってたのですが
保健室の先生曰く、お腹が空きすぎて胃液で痛めてるかもとのことでした。母親はこれを聞いて、そんなことか~この子身体は丈夫だから~と言った感じだったので、あたしは、ただお腹空いてるだけなのか。とキリキリ痛めてながら我慢してました。小2の記憶が濃いめです。腰まであった髪をバッサリショートカットにしたら同級生に背が高いこともあり、男呼ばわりされ泣いて学校に行きたくないと言ってぐずりました。(滅多に泣かなかったあたしなので、母親びっくり)図工ではアトリエ通ってた成果あってか毎回先生に褒めちぎられる。とか。足も早くてリレー選手に選抜され練習が楽しかったとか。学童にも通い始めて、めちゃくちゃに遊んで家にはない量のマンガ読んだり、新しい遊びをしたりとなんだかんだ謳歌してました。
小3では先生が退職年だったので何もかも自由にやらせてくれるクラスでした。金曜日のみゲームボーイとかの持ち込みOK、マンガを自由に置いてみんなで読み合うのもOKという、かなり自由で楽しかったです。そして小3のある日、母親が新しい職場に務めはじめました。そこで今のお父さんと出会い再婚しました。もちろん、あたしと妹は歓喜です。お父さん!嬉しい!優しいしだいすき!みたいな。でも、今考えると再婚は良かったのか分かりません。いまでも、お父さんは大好きですし、あたしのヲタク趣味をすごく理解してくれてガンダムもこの時すきになりました。洋楽も。
お父さんが出来てから変わったことは
海外旅行行けるようになりました。
いろんな場所へ行きました。
新しいことをたくさんやりました。
自転車で海まで釣りに行ったり、ボディーボード教えて貰ったり、

毎日楽しかったです。
小学5年生、ヤバい先生に当たりました。
毎日日記を書かされ(短文やふざけた文禁止)、今まで皆が使っていたシャーペン禁止、朝は必ず各々で持ち寄った新聞記事のニュースなどを切り取った文章を読み、感想も併せて言う。私服登校だったのですが、ロングスカートに文句を言う。男子から嫌がらせされたと報告してもほぼスルーかつ、女子には目に付くもの全て厳しくする。というおばあちゃん先生でした。今考えても、なんで贔屓ばかりするあの先生に従ってしまっていたかモヤモヤするばかりです。
小学6年生
中学への勉強も完璧にしつつ、楽しく過ごしまし、卒業シーズン。妹が生まれました。12歳離れた妹です。家族、親戚みんなお祝いでした。勿論、あたしも3つ離れた妹も凄く喜びました。何よりほんとに可愛かったんです。あたしとお父さんだけ出産の立ち会いもさせてもらい、小さな小さな命を見ました。ふにゃふにゃでか弱そうなのに、あたしの人差し指を握る手のひらは小さくとも力強くて、願うもの全て叶うような気持ちになりました。不思議です。
妹がある程度、外出も大丈夫になったとき、おばあちゃん家を回りました。まずはお母さん方の。たくさんの祝福をしてもらい、色んな家族にだっこして貰って写真撮って…あたしと真ん中の妹も新しい妹やお母さんのサポートを楽しみながら頑張ってやりました。
つぎに、お父さん方の実家へ。犬と猫がいるのであたしは嬉しかったんですが、お母さんはアレルギーであまり近寄れませんでした。新しい妹もいるし、特に猫は…だったので、あたしが猫と遊んだりしてました。家族揃ってだっこしたりしてるとき、父方のお母さんがびっくりしたことを言いました。「猫みたい」
小学生ながらえー…となりました。自分も産んだことがあるなら猫みたいとか動物に例える感想を言うのかなぁ…と微妙な空気になりつつお開きになりました。

小学校卒業
従兄弟とあたしは袴を着せてもらい、無事卒業しました。従兄弟は私立の中学へ。あたしは地元の中学へ進学しました。行っていた塾で何度か私立への受験を勧められましたが、当時好きな男子が同じ中学へ行くのを知っていたのと、誰も知らない子達の中へ入るのが苦手なあたしは中学受験を断り続けてました。親友とは離れ離れになりますが、他の同じ顔見知りがいる方を選んでしまい残念なことしました。中学がもう少し希望の持てる中学校だったら後悔はしなかったかもしれないです。分からないですけど

#ミスiD #ミスiD2019

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