14年ぶりの通学路
今日は平日だが、3月中にした土日出勤の振替で休みとしていた。
いつもなら家で溜まったバラエティとラジオで、最高で大好きな「暇」を謳歌するか、活動的な日は映画館・美容室・ネイルサロン・ライブ・演劇などだが、前者は日が暮れてもできるし、後者は選択肢としてなくなったので、散歩を選択肢に入れることにして、6年間通った小学校まで行ってみることにした。
我が家から小学校までは、3kmほど離れている。
今は区画整理や都市開発で道が整備されているが、当時は車一台通れるくらいの林を切り開いたような道が続いており、結構エグめの坂を上ったり下ったり、途中休憩を挟んだり、リコーダーの練習をしたりしながら、毎日6年間通った。
大人になっても結局30分以上かかり、幼い私、本当に頑張ったと思う。昔ひいおばあちゃんに、この辺の子は、おかげで風邪ひかないからね!と言われたけど、まあ確かにそうなのかもしれない。
小学校では、教科書をもらう日だったのか、重そうにランドセルを抱える子どもが数人だけ出てきて、そのあとすぐに職員さんによって校門が閉められた。
外から見てそんなに変わってなく懐かしかったが、新しい校舎が建ち始め、学童は既に2階建てになっていた。
新校舎の建築予定表みたいなもの曰く、2022年完成らしい。延期されたオリンピックすら終わってる未来。どうなっているのだろう。
学校の少し奥にあるコンビニでアイスを買って、大人になったな、と思いつつ、また3kmを戻る。
家について手を洗っていたら、防災無線から外出自粛の呼びかけが繰り返されていた。
行方不明になったお年寄りの捜索か、光化学スモッグ注意報しか聞いたことがなかったので、あのエコーに被らないような、ゆっくりとしたアナウンスをじっくり聞いてしまった。
非常に不謹慎かもしれないが、映画やドラマでよく見る、戦時中の空襲警報が頭をよぎり、大きく違いはないのかな、とベランダでちょっと泣いた。
これまでの日常と今を繋ぐため、昨夜聞き逃したアルコ&ピースのラジオを聞くことにする。
今日は佐久間さんで、明日はハライチだ!それだけで幸せに思う。
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