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彼女との余白

ひなびたペットショップで、のちに我が家の愛犬となる彼女に出会った。
きょうだい3びきで一緒のゲージに入れられた彼女は、気も力も弱い子だった。
きょうだいに踏まれ、噛まれ、抵抗してはみるが、また乗られ。
ちいさな体がよりちいさく見えた。
その姿がペットショップを離れたのちも、頭から離れなかった。

結果、彼女は我が家にやってきた。ダンボール箱に入って。
ちいさくて、ふるふる震えている。
毛は茶色のような黒のような暗い色で、ちいさなちいさなくまさんだ、と思った。
抱き抱えたらつぶれてしまうのではないかと思った。
臆病な彼女は、しばらく我が家に慣れなかった。

慣れてからは、我が家は彼女の城になった。
しつけ、と言われるようなことを一応してはみるけれど、カーペットがあればおしっこをするし、うんちだってなぜこんなところに、というところから見つかった。
はじめの頃はわたしの布団もオープンにしていたので、さんざんおしっこをされた。
そのたびにわたしは、もう二度と乗せねえかんな、と思った。
でも、足元で眠るその体温がいとおしくて、なかなかやめられなかった。
インターフォンが鳴れば、そのちいさな体からどうやって出るのだと思う声で家を揺らした。
自分のものをとられると思えば、相手が飼い主であろうと容赦なく噛んだ。
父は、ノイローゼぎみになった。

家族の不和の時期に、わたしはとても不安定になった。
こんな家族とは離れてわたしは絶対ひとりで生きていくんだと思いながら、毎晩を過ごした。
彼女はわたしが泣いていると、わたしのからだにおしりをくっつけて寝た。
親戚にもこどもがなく、ずっとこどもひとりだったわたしにとって、もしかしたらひとりじゃないのかもしれないと思わせてくれたのが彼女だった。

彼女が病気になった。
子宮を取らなければ、命が危ないと言われた。
子宮は女という性別をもつものにとって、とても重みのある器官だ。
けれど、ちいさなちいさな彼女にとって出産はおそらく困難で、ましてや命と代償にするのであれば、迷うことはなかった。
子宮を摘出した。
彼女はしばらく弱り、元々情けない表情をより情けなくしながらうずくまっていた。
それも次第に良くなり、いつも通りの彼女に戻っていった。

東日本大震災のとき、大学生のわたしはたまたま家にいた。
2階の自室のベッドでだらだらしていたときに、大きな揺れがやってきた。
わたしは、何よりも先に、1階にいる彼女のもとへ走った。
すぐに抱き抱え、テーブルの下に逃げ込んで、揺れがおさまるのを待った。
余震の間も、彼女とテーブルの下でニュースを観た。
震える彼女に、だいじょうぶだいじょうぶと言いながら、彼女の体温に救われている自分がいた。
震災からしばらくの間、普段は別の部屋で眠っている家族と川の字になって眠った。
地震速報の音を聞くとからだを震わせるようになった彼女だったけれど、家族全員がそろって敷いた布団の上では、これ以上の幸せはないというほどはしゃいだ。
久しぶりに、布団の上でおしっこをした。

彼女は着々と年齢を重ねていった。
同じように、わたしたちも年齢を重ねていった。
気づけば彼女はおばあちゃん、わたしはおとなと呼ばれる年齢になっていた。
彼女は寝る時間が増え、わたしは家を空ける日が増えた。

わたしの体調が芳しくなかった頃、家族で旅行に出た。
彼女も、体力の低下のせいか、あまり元気のない頃だった。
天気がよく、澄みきった空気に包まれて、わたしの体調は少し良くなった。
彼女も、今まで家で寝るばかりだったのが嘘のように走り回り、帰って来てからもしばらくは興奮冷めやらぬといった様子だった。
彼女も含めて行った大きな旅行は、それが最後になった。

彼女の呼吸がおかしくなった。
徐々に体調の低下こそあったものの、目に見えておかしくなったのはその時だった。
入院することになった彼女について、獣医は、覚悟をしてくださいとわたしたちに伝えた。
延命するか、安楽死するか、ご家族で話し合ってくださいと言われた。
わたしたちには、決められなかった。
そんなわたしたちを頼りなく思ったのか、彼女の体調が持ち直した。
獣医も驚いた様子で、これなら家に帰れるかもしれないと言った。
そして、死の淵から帰ってきた彼女は、我が家に戻ってきた。

そこからの日々は、彼女へのいとおしさが溢れるものだった。
いつくるかわからない別れを頭の隅に置きながら、毎日彼女の頭や体を撫でた。
力なく、目だけこちらに向けて、彼女はいってらっしゃいをくれた。
わたしのことをよく知るひとに、彼女はわたしに似ている、と言われたことがあった。
穏やかな見た目に吸い寄せられて近づいていったら、急に牙をむく。
けれどもう、彼女は噛みついてこなかった。
腕に残る噛みあとがいとおしいと思った。

その日、わたしたちは全員で、彼女の世話をしていた。
もしかしたらもう最期かもしれない。
そんな予感を感じていた。
排泄物が垂れ流しになり、呼吸も弱くなった。
彼女の痩せ細ったからだを抱いた。
最期かもしれない。最期かもしれない。最期かもしれない。
そう思いながら、いちばん最後の、いってきますをした。
その時も、意識が朦朧としているであろう彼女は、ちらとわたしに目線をよこした。
いってらっしゃい。

仕事中に、父から連絡がきて、彼女が息を引き取ったことを知った。
人前に立っていたわたしは、その知らせを受けて込み上げてくる涙を必死にこらえた。
そして、誰もいなくなったあと、その部屋でひとり、めいっぱい泣いた。

彼女はわたしたちといて幸せだっただろうか。
わたしたちは、こんなにもこんなにも、幸せだった。

スピリチュアルなことは信じないし、どちらかといえばうさんくさいと思ってしまう。
けれど、彼女が火葬されるときに心から思った。
きっとわたしたちがくるのを待っていてくれる。
そして、そっちでまた思いっきり走り回ることができる。

今、わたしは、彼女との余白期間を過ごしている。
いつかそっちにいったとき、伝えたいことがたくさんある。
もしかしたら今もわたしのことを見ているのかもしれないけれど、できることなら体を撫でながらお話ししたい。
そして気にくわないところを撫でたら、また、あとがつくくらいに噛んでほしいと思う。

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