『草枕』、著作の裏側など 5
5 漱石と『楚辞』
夏目漱石は『草枕』を書き始める前に『楚辞』(中国,戦国時代後期の楚国の歌謡集)を耽読したそうです。『草枕』に横溢する無数の漢語的詩句の多くは『楚辞』由来のものなのです。漱石は日露戦争のさなかの明治の日本の風景を表現するために紀元前4世紀の文人の語法をまず学びました。文芸評論家の柄谷行人は、漱石が近代文学を現実の表現として成立しているだけの貧しいものと考えており、それゆえ『草枕』においては、言葉は現実を指示する記号として用いるのではなく、言葉自体で織り上げられた作品表現になっていると評しています。村上春樹の小説のような、外国語にも翻訳可能な文章とは根本的に異なります。私自身この作品の真髄は全く読解できていないと感じます。しかし、芸術論などについては印象に残る言葉も多くあります。例えば、東洋と西洋の詩歌の比較については、西洋の詩が、「人事が根本になるから所謂詩歌の純粋なるものも」「どこまでも世間を出ることが出来ぬ」「どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の」ありふれた感情だけで「用を弁じている」「いくら詩的になっても地面の上を駆け歩いて、銭の勘定を忘れるひまがない」「うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したものがある」「20世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に、今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれている」。「能」については、「有難味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない」「芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである」などとあります。
(つづく)
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