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苦手とありたい姿

私は大人数の中に入るのが苦手です。
何が苦手なんだろう、今までうまく言語化できないでいました。
最近わかってきたことがあるので、書き残してみます。



大人数の中で、自分の居場所が定まらない感じが居心地が悪いのです。
例えば、最初に着いた席から離れることに抵抗感を感じます。
挨拶をして回る、回った後、どこに戻ってきたらいいかわからないから、そんな行動をとりたくない。
子どもの頃、クラスのコミュニティではみ出していたことが多かったから、そんな状況が頭に浮かんで、自意識過剰になってしまいます。


大人数だと、同時進行で色々な話が飛び交います。
どこの話に入ったらいいのか、と迷います。
どこかの話に入っても、隣の話が気になります。
気がつかないうちに耳がダンボになっていて、結果、どちらの話にも集中できていない状態となっています。


誰かと話し始めた時にも、気心知れた人でない場合、話が途切れることに気を遣ってしまっていた時もありました。
その結果、人が話しているところから、自分が次に何を話そうかと考え始めてしまう。
人の話に集中できていないんだから、話のキャッチボールがうまくいくわけがありません。


大多数のノリについて行くのがしんどい、という時もありました。
同じ空気感で振る舞わないと、ちょっと違うんじゃない?真面目ぶっちゃって、という目で見られてしまう。
よくわからないけれど、とにかくずっと笑っていなければいけない時間の長さ。


どの行動にも心理にも、「自分がどうしたい」が入っていないんです。
どう見られるか、どうあるべきか、と謎の縛りを自分にかけてしまう癖が出ているのが、こんな場面でした。


でも、大人になって、環境を選べる、自分が思うほど他人は自分に期待はしていない、沈黙はこわくない、ひとりでいても大丈夫、とわかってきました。


その中でも一番大きいのは環境。
自分は合わせられない、ではなくて、ここは自分には合っていない、と思えればよかったんです。
合っている場所がどこかにある、と思えることは生きるエネルギーを保つ上でとても大切。
だからこそ、トライ&エラーをして、やり直せる経験を積むことを若いうちからできるといいのでしょうね。
私は若い頃、トライが足りなかったからエラーのダメージが大きかった、と思いました。
やり直せる環境が増えていけば、日本はもっと寛容な社会になっていくんじゃないかな、なんて、思考が広がっていきました。


関心があるけれど、うまくいかないこと。
それは、きっと自分のありたい姿の中に、それができる自分を見てみたいんだと思います。
いろんな人に会ってみたい。
だから、ある程度の大人数でも気楽に楽しめている自分になりたい。
トライ&エラーを重ねれば、そこに、自分がいたい景色が見えてくるように思えてきています。







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