「承認欲求」と言えるようになって心の成長を感じた話
承認欲求
周囲から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという願望。
私は、承認欲求という言葉が大嫌いでした。
認めてもらうために一生懸命頑張っている気持ちと行動を、「承認欲求」なんて四文字に収めて、そんな気持ちを見下すような雰囲気を感じていたからです。
入社1年目に営業をがむしゃらに頑張っているときに、先輩に「承認欲求が強すぎる」と言われたことがあります。
その先輩は意地悪なわけではなく、どちらかというと面倒見の良い先輩でした。客観的な視点を持っていて、「力を抜け」と言ってくれたのだと理解していますし、承認欲求丸出しの私を見て、確かに「痛い」と感じたのだと思います。
それでも、私は自分の恥部を見られたような気持ちになり、「あなたに何がわかるの」と、ものすごく不快な気持ちになりました。そして、「決して承認欲求に振り回されているわけではない」と、心の中で承認欲求を全否定していました。
しかし、今は何の抵抗もなく「承認欲求」を認めることができます。おそらくそれは、自分が自分を認めてあげられるようになったから。そして、認めてほしいと思う相手を判別できるようになったから。
尊敬しない人に認めてほしいとは思わないし、例え人に認められようが認められまいが、私は私。自分を持てるようになりました。ちなみに今は、認めてほしいと思う相手がいなくて、少し危機を感じています(笑)
社会人を7年ちょっと経験して学んだことは、承認欲求は恥ずかしいものじゃないということ。
毒にも薬にもなるものだけれど、自分で強弱を調整して、うまく付き合っていきたいもの。
これからも、心を成長させて、承認欲求など心の声を素直に認められる、芯のある強い人間になっていきたいという決意をここに表明します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。