The Bear
人類最後のふたりは、山のなかで静かに暮らす少女と父だった。文明社会の面影を残すものは数冊の本と1枚のガラス、火打ち道具、方位磁針、銀の櫛ぐらいしかない。父はやがてひとりになる少女が生きていけるよう、狩りや釣りのしかたや自然の摂理、星々の物語を教えていく。不慮の事故で父が少女を残して逝かなくてはならなくなったとき、1頭の熊があらわれ、少女を導く。豊かな自然を舞台に紡がれる、美しい愛と喪失の物語。
作者:Andrew Krivak
出版社:Bellevue Literary Press
出版年月:2020年2月
ページ数:224ページ
おもな文学賞
・バンフ・マウンテン文学賞(フィクション部門)受賞(2020)
・ショトーカ文学賞ファイナリスト(2021)
作者について
スロヴァキアからアメリカへの移民3世。妻と3人の子どもとともに、マサチューセッツ州サマービルおよびニューハンプシャー州ジャフリーで暮らしている。2011年に発表した初のフィクション作品『The Sojourn』では、アメリカからオーストリア=ハンガリーに移住した主人公および第一次世界大戦を描き、全米図書賞にノミネートされ、デイトン文学平和賞(フィクション部門)およびショトーカ文学賞を受賞した。『The Sojourn』は『The Signal Flame』(2017)、『Like the Appearance of Horses』(2023)と続く三部作となっている。ほかに詩集2冊と、イエズス会での修行を回想した自伝『A Long Retreat: In Search of a Religious Life』(2008)を発表している。
おもな登場人物
● 少女:深い森に囲まれた山の家で生まれ、父とふたりで暮らす。
● 父:両親の死後、妻とともに山で暮らし始める。ほかの人間を探して方々を歩いたが、出会うことはなかった。妻は娘を産んで数か月後に死に、男手ひとつで娘を育てる。年齢は明記されていないが、年をとってから娘を授かった印象。
● 熊:父が死んだときに少女のもとにあらわれ、少女を支える。
● ピューマ:熊の冬眠中に少女を支える。
あらすじ
※結末まで書いてあります!
ぽつんと佇む山の中腹に、ひとりの少女と父が暮らしていた。ふたりは人類最後の人間だった。父は若いころ母とふたりで山へきて、木や石や泥で家をつくったが、母は少女を産んで数か月後に死んだ。かつての文明社会の面影を残すものはほとんどなく、窓にはめ込まれた1枚のガラスは、母の家族に代々伝わる貴重なものだ。ガラスづくりの技術自体は、とうの昔に失われている。
秋分の日を過ぎると雪が降り始め、春の訪れは遅いため、1年の半分近くが雪に覆われている。少女がいちばん好きなのは、1年で最も日が長い夏至だ。少女の誕生日でもある。毎年、夏至の前の晩に父は誕生日プレゼントを贈った。本物そっくりの木彫りの鳥や、母が使っていた鹿革のかばん、オークの木をくり抜いたコップ、湖で見つけた亀だ。5歳の誕生日の前夜、父は特別なプレゼントを渡す。母が大事にしていた、箱入りの銀の櫛だ。
少女は母のことを覚えていないが、物心がつき、山や近くの湖で動物の家族を見かけるようになると、父になぜひとりなのかと尋ねるようになった。父は母のお産が大変だったことと、狩猟月を迎える前に帰らぬ人となったことを話した。いまでも母のことは片時も忘れていないし、悲しみもいまだに癒えていないと語る。少女は、いつか自分も父がいなくなったら悲しむのかと尋ね、父はそうだと答えた。
父は、母の墓がある山頂へと少女を連れて行った。細い道を歩き、険しい岩場をやっとのことでのぼると、山頂の岩棚からは一面に広がる森が見渡せた。湖と自分たちの家も見える。山頂には熊の頭のように見える大きな岩があり、その横に石が積まれていた。これが母の墓だ。母が死んだとき、父は母を湖畔で火葬し、少女をおぶって遺灰を山頂に運び、埋葬したという。父はしばらく墓参りをしていなかったが、これからは毎年少女の誕生日にふたりで訪れることにした。
父は少女に森や湖について教え始めた。ウサギの罠の作り方、銛をつかった魚の捕り方、太陽の位置からおおよその時刻を知る方法や、北極星が道しるべになることなどを教えた。やがて、読み書きも教え、少女は数少ない本を読んで楽しむ。本に出てくるような人たちはいなくなったのかと父に尋ね、父はそうだと答えた。
あるとき、少女は湖畔を歩く熊を見かけた。父の話では、熊は森をさまよい、自分たちやほかの動物たちのために良いことをして回っているという。生まれたとき、母熊にそう約束するのだそうだ。父は、人間の村を守ると約束した熊の物語を語った。少女が10歳になると、父は手作りの弓矢を贈り、少女は狩りの仕方を学ぶ。弓に使った木は、少女が初めて山に登ったときに父が見つけ、渡すべき時がくるまで大切に保管していたものだ。
少女が12歳になった年、父は少女を連れて長い旅に出る。海まで行き、塩を集めるのだ。少女はいままで誕生日にもらった弓矢や火打ち道具、真鍮の方位磁針、ナイフ、火打ち道具、銀の櫛を持って出発する。川に沿って野宿しながら、狩りや罠で動物を仕留め、川で魚を捕って旅をした。1か月半ほど経ったころ、すっかり廃墟と化している家々を見つける。父は何か役にたつものがあるかもしれないと付近を捜索し、隠れていた動物に手を噛まれる。傷は腫れあがり、薬草でつくった湿布薬を貼った。
数日後、ついに海にたどりついた。少女ははじめての潮の香りを吸い込む。ふたりは洞窟に荷物を置き、枯れ枝を集めて火をおこす。父は持ってきた水瓶に海水を入れて火にかけ、残った塩を少女に味見させた。からいというのが少女の感想だった。父は潮の満ち引きや、地球の4分の3が海に覆われていることを少女に伝えた。
父の手の傷は悪化し、高熱も出た。父はまだ娘を残して逝くわけにはいかないと祈る。どうにか体を動かし、海での釣りのしかたや、蟹の捕り方を少女に教えた。しかし数日後には寝たきりとなり、食事も摂れなくなる。父は恐怖に目を潤ませ、少女のことを案じつつ死んだ。
少女は浜辺に枝や草を集め、毛布にくるんだ父の亡骸を乗せて火をつけた。弓矢や、父が持ってきた地図も放りこむ。少女は見ていられず、顔を覆ってその場に伏せた。
一頭の熊が少女の顔をなめ、眠っていた少女を起こした。火はとっくに消えている。熊は少女に、火をおこしてほしいと話しかける。少女は、燃やせるものは何も残っていないと答えるが、熊は自分が集めてきた草木があると答える。少女は火をおこし、熊が川で捕ってきたマスを貪るように食べた。熊は、浜辺で葬送の火が焚かれているのを見た鷲から連絡を受け、ようすを見に来たと語る。かつて湖で見かけた少女が眠っていたとわかり、自分が山への帰り道を付き添うべきだと考えたとのことだった。少女は、なぜ人の言葉を話せるのかと熊に問うが、いまは答える時でも場所でもないと熊は答える。少女は一晩寝ただけだと思っていたが、父の死からひと月が経っていた。悲しみを癒やすにはそれだけの時間が必要だったのだ。秋分の日が過ぎた今、雪が降り出す前に山へ帰らなくてはならない。少女は遺骨を集め、荷造りをすると熊とともに出発した。
少女と熊は川をたどり、少女は毎晩寝る前に父へ話しかけた。そしてある日、なぜ話せるのかとあらためて熊に問いかけた。熊は、かつてはすべての動物が言葉を話せたが、人間のほうが耳を傾けるのをやめ、話すほうも話し方を忘れていったと語る。熊は、代々母親から話し方を学び、受け継いできたという。また、すべての生き物にそれぞれの声があるとも語った。森の木々さえも声があり、太古の昔に動物に話し方を教えたのは木々だという。ただ、木々は時間を気にしないため、ひとつの単語を話すのに数か月かけることもあった。
やがて秋は深まり、冷えこみも厳しくなってきた。夜空を見て、熊はおおぐま座が自分の先祖だと語る。雪が降り始めると、熊は岩場の洞窟へと少女を連れていき、春まで離れないようにと言い残して冬眠する。少女は薪になる枝を集め、木の実を集めて食べた。吹雪で洞窟の外が一面の雪に覆われると、食べ物を確保するのは難しくなった。父に教わったように罠をつくってウサギを捕まえたが、このままでは春までもたないと、少女は洞窟を出る。三日間歩くと、川に着いた。少女は表面の氷を渡ろうとしたが、途中で氷が割れて水中に落ちる。そのとき、何かの動物が少女をくわえ、水中から引き上げた。ピューマだ。ピューマは少女を熊の洞窟まで運ぶと、自分と熊の間に寝かせてあたためた。
ピューマは少女のために、自分が仕留めた鹿を届けた。少女は父に教わったように鹿をさばき、革をなめした。腱は糸に、骨は縫い針にする。ピューマも熊と同様に少女に話しかけ、仕留めた動物を運んできた。そして、いまは洞窟を出るときではないと伝えると、去って行った。
少女は木の枝でかんじきを作り、オポッサムやビーバーの毛皮を服に縫いつけ、薪や食料を探して歩いた。そして弓矢が必要だと強く感じると、適した木を探してきて、鹿の腱をはって弓をつくった。鹿の骨を矢尻にした矢もつくった。しかし、矢羽根がないためうまく当たらず、しかも冬が深まると獲物を見かけることも減り、少女は空腹に苦しんだ。
熊から魚をもらう夢を見た少女は、ふたたび川まで出かける。氷は前回よりも厚くなっていたが、対岸まで渡ることはせず、穴を掘って釣りをする。ありがたいことにすぐに魚がかかり、少女は釣れた3匹を焼いて食べる。その晩はそのまま野宿し、翌日も魚を釣った。1羽の鷲が飛んできて、少女の前に死んだガチョウを落とす。洞窟にもどり、ガチョウの羽根を矢につけると、矢はきちんと飛ぶようになった。狩りができるようになり、少女は森や動物たちに感謝の言葉を伝える。やっと落ち着いて冬を過ごせるようになった。
やがて、星の位置が変わり、川の氷が解け、春が訪れた。熊は冬眠から覚め、木の芽や少女が捕ってきた魚を食べる。少女は熊とともに川へ向かいながら、冬眠中にあったできごとを語る。川では存分に魚を捕って食べ、ふたりはそのまま洞窟にはもどらずにしばらく川岸で過ごす。雪が完全に解けると、少女の家がある山へと向かった。近くまで来ると熊は去り、少女は残りの道をひとりで進む。そしてついに、家にたどりついた。父と出発してから、ほぼ1年が経っていた。
家の中は冷え切り、暖炉には落ち葉が溜まり、小動物が暮らした痕跡があった。少女はハンモックを持ち出して外で寝る。翌朝、つるはしを持って山の頂上までのぼり、母の墓の隣に穴を掘った。そして父の遺骨と遺灰を入れて土をかける。その上に小さな石のほこらを作り、中に方位磁針を置いた。少女はかつて父が母を偲んだように、これからは自分が父を偲ぶのだと実感した。
少女は年を重ね、老女となった。動物たちに話しかけ、動物たちも恐れずに老女に近づいた。家には二度とはいらず、湖畔で暮らし、冬は湖上の島にある洞窟で過ごした。熊にはその後会わなかった。両親の墓がある山頂へは、しばらく前からのぼっていない。そして収穫月の夜、老女は永遠の眠りにつく。地面に横たわったまま、秋と冬が過ぎ、春になった。
夏至の日、一頭の熊があらわれた。この山へ来るように言われて来た熊だった。この山の物語は小熊の頃に聞いており、老女の骨と皮を見ると自分のすべきことを理解した。老女の遺骸を山頂へ運び、ふたつの墓のあいだに穴を掘って埋めた。それから自分とそっくりの岩を押して、墓の上に動かした。夜遅く、山をおりた熊は湖畔で星を見上げ、物思いにふける。ひとつの終わりと始まりに立ち会ったような疲れを感じた。おおぐま座を右手に見て、熊は西への帰路につく。背後では空が明るみ始めていた。
評
人類最後のふたりとなった少女と父、そしてやがてひとりきりになる少女の物語だ。人類最後のふたりということは最初から明示されており、すでにさんざん他の人間を探し回った父は、捜索を続けることよりも、やがて確実にひとりになる娘に生きるすべや文明社会のわずかな名残りを伝えていくことに注力する。決して躍起になって教え込むわけではなく、自分たちの状況を受け入れ、娘の成長にあわせて、静かに愛をこめて教えていく。そして少女はひとりになったとき、父から教わったことをその場に応じて実践して生き延びる。熊もピューマもそんな少女を見て、「お父さんはきちんと教えてきたんだな」と声をかける。
未来の物語でありながら幻想的な寓話でもあり、マジック・リアリズム寄りの作品という印象を受けた。終末ものは荒廃した世界が描かれることが多いが、作者は自分が暮らすニュー・ハンプシャーの森から人間がいなくなったらどんな世界になるだろうと想像を膨らませたということもあり、本書では原始時代にかえったような世界が描かれる。少女と父が暮らす山は作者の家から見えるモナドノック山がモデルで、「モナドノック」は先住民の言葉で「ひとつだけぽつんと立っている山」を意味する。また、熊は作者が子どもの頃、行方不明になった犬を探すのを熊が手伝ってくれたというエピソードに基づいているそうだ。このエピソードは作者が自分の子どもたちに語っていくうちに熊と少年(あるいは少女)の物語に発展していったという。荒廃した世界を生き抜く父と少年を描いたコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』の姉妹版のようであり、対極にもあるような作品だ。なお、人類がいなくなった理由は描かれていない。また、だれが我々の物語を語り継ぐのか、それはどんな物語になるのか、という静かな問題提起もうかがえる。
情景描写は美しく、月の満ち欠けや星座の移り変わりで季節の変化が描かれている。一面の銀世界も美しいが、人間がひとりで生きていくには過酷なようすも容赦なく描かれている。1行空きや改ページはあるが、章番号は立てられておらず、会話にクオーテーションマークも使われていないため、物語全体がひとつの大きな川の流れのように感じられた。最後は哀愁とともに、悠久の自然を感じさせるエンディングを迎える。
淡々と描かれている分、少女が父の死にやるせなさと憤りを爆発させたり、父の遺骨を母の隣に埋めるまでは諦めないと決意する場面など、強い感情があらわれる場面が際立ち、胸に迫る。また、少女から「どうしてひとりなの?」「わたしたちしかいないの?」と聞かれながらも、父は「ひとりじゃない、おまえがいる」「お互いがいるじゃないか」と答え、決して悲壮感を漂わせない。妻も自分の心の中に生きていると言い、いつか自分を失っても娘が孤独を感じないよう願っている。そして少女がひとりになったとき、父の仕事を引き継ぐように、1頭の熊が少女を支える。ひとの言葉を話す熊のことは、少女も父も物語の中でしか知らず、実際に会ったことはなかった。少女からは、父からさまざまなことを学んだということを熊やピューマに話していないが、両者とも知っており、森の木々や動物たちが少女と父の暮らしをずっと見守ってきたことが窺える。熊も少女も、おおぐま座(北極星)が道しるべになると親から教わってきており、人間とほかの動物という垣根を越えた一体感を感じた。
なお、表紙もとても美しい。個人的に幼少のころ星を見るのが好きだったので、おおぐま座だけでなくオリオン座や双子座、ペガサス座などの星座がちりばめられているのも、父娘の手が星座のようにあしらわれているのも心惹かれた。
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