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最終的に人を動かすのは、その人が日々選択している言葉の連なりなんじゃないか

最近「他者の力を引き出すとは」ということが気になっていろいろ考えている。チームのみんなや接している子どもたちに、自分の考えを押し付けたくもないし、とはいえ、まったく干渉しない、というのも違うなと思う。

今とは違う、もっともっといい方法があるんじゃないかなあ。

そんなとき、「ああ、これは」という本に出会い、すぐに買ってしまった。

力を引き出すのがうまいとか、あの人といると伸びると言わせる人たちは何が違うんだろう。その働きの質は、彼らの<人間>をみる視力や眼差しに大きく左右されているんじゃないか。【かかわり方の学びかた(西村佳哲)】

この本で、西村さんは「人に影響を与える3つの要素」に触れていた。

①その人が持っている技術や知識
②その人の考え方や価値観
③その人の物事に対する態度や姿勢=「あり方や存在」

この本で紹介されている「人の力を引き出すのがうまい」名人たちは、一様に、他者の力を引き出すのは、その人の「あり方や存在」だ、ということを話していた。

とはいえ、物事に対する態度や姿勢=「あり方や存在」っていったいどんなもので、どんなふうに感じ取れるものなんだろう。

取材のときにあったお母さんと女の子。それから、カメラマンの友達

そう思って、この3つに気を付けてまわりを見ていたら、最近すごく「はっ」とすることがたくさんあった。そのなかのひとつの話。

先日、あるお母さんとその娘さんに取材をさせていただく機会があった。

お子さんが詩がすごく好きで、みんなで詩集をかこんで見ていたのだけど。

そのお子さんが読んでいる詩集の漢字に、お母さんの字でルビがふってあったのだ。「お子さんが自分で読めるように」とお母さんが書いたものだとのこと。

もうすでに、そこに、お母さんの物事に対する態度や姿勢=「あり方や存在」が表れているなとも思ったのだけど、ここにはまだ続きがあって。

その本をみんなで見ていたときに、お子さんが初めてそのことに気づいて、

「あれ、このひらがなってママが書いてくれたの?」

と聞いたのだ。

その時、お母さんは、

「え、知らなかったの?」とか、
「まだ漢字読めないから、書いといたよ」とか
「書いておいてあげたから、読みやすくなったでしょ」

という声かけをすることもできたはずだ。

でもそのお母さんは、

「そっか。〇〇ちゃんには、もとから書いてあったように見えたんだね」

と、静かにお子さんの発見を一緒に喜んでいたんです。「たしかにそう見えるよね、そこに気づいたのはすごいね」といった感じで。

ああ、すごいなあと思った。

ほかにも…

取材にはもうひとり、カメラマンの私の友達もついてきてくれていて。

実は、お子さんが写真に撮られるのはあんまり好きじゃないということは元から知っていたのだけど、その子が可愛くて撮れたらいいなということで、カメラマンの友達が、お子さんにこう話しかけてくれたのだ。

「私が隠し撮りしたら〇〇ちゃん、おこるかな…?」

そう聞いたら、お子さんが、小さく首を縦に振ってくれた。

そこでカメラマンの友達は、

「でもさ、〇〇ちゃんすごくかわいいよ、とってみようよ」とか、
「えー、でもせっかくだからとりたいな」
「1枚だけでいいよ!こっちむいて」

とかそんなふうに声をかけることができたはずだ。

でもその友達は、

「そうだよね。おこっちゃうよね。そしたらやめよっか。いやなことはしたくないんだ」

と、おどろくほど自然に言っていた。

ああ、すごいなあと思った。

あり方や姿勢は、その人が選び取る言葉にあらわれるんじゃないか

まわりの人の、そんな場面を日々たくさん見ていて、「あり方や姿勢」っていうのは、「その人が、その時その時に選び取る言葉」なんじゃないか、と、そう思うようになった。

発することができたはずの無限の言葉のなかから、どの言葉を選び取るか

言葉って一瞬一瞬は取り繕うことができる一方で、日々無限に、かつ無意識的に生み出されるものだから、結局はその人の「あり方や姿勢」が顔をだす。

その言葉の連なりや連続性が、その人の「あり方」になるとしたら、取り繕うことってできないんだなあ。

無限に選択肢がある中で、選びとる言葉や行動。それが「あり方」の総体をつくりだしているのかな。

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そう考えて私の言葉の連なりや総体を振り返ってみると、まだまだだなあと思ったので、自分がありたいあり方になるべく、まわりのすごいなあな人となるべく一緒にいたいなあと思った次第でした。

以上です。

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