見出し画像

【エッセイ】泥団子と小説

 幼少期——特に小学校に入学するまでの記憶の多くは分厚い霧がかかって見えない。それでも霧が薄いところに目を凝らしてみると、薄くかかった霧の背後にはひっそりと記憶が佇んでいるが、どれも細切れではっきりしない。そして、それが夢の記憶なのか現実の記憶なのか、分別できないことも少なからずある。幼稚園のとき、大好きな馬渕先生から頬っぺにチュウされた記憶がある。しかし、これは夢だったのか、現実だったのか。二十八になった今でもよく分からない。記憶とはそんないい加減なものなのかもしれない。

 それでも蘇る曖昧な幼少期の記憶について、それが夢か現実かはさておき、一つだけはっきりしていることがある。そのどれもが、強烈な感情——嬉しさや楽しさ、恥ずかしさや苦しさと共にあるのだ。まるで小さな子どもがお母さんの手をぎゅっと握りしめてデパートを歩き回るように、曖昧な記憶と強烈な感情はいつも一緒だった。

 曖昧な記憶を思い出そうと、強烈な感情で検索をかける。「楽しさ」と打ち込むと、脳の奥深くに押し込まれた記憶がスルスルと手繰り寄せられる。

 幼稚園で泥団子を作った記憶。バケツの中に入れた砂と水を入念にかき混ぜた後、程よいサイズの泥んこを小さな掌に乗せ、両手で繰り返し握り締める。だんだんと水分が抜けていき、固くなった団子にサラサラの砂を満遍なく振りかけ、表面を擦りながら光らせる。その頃には掌に包まれた団子にすっかり情が移り、我が子のように名前をつけ始める。そして、「明日また会おうね」と言いながら滑り台の下の丁度いい日陰に我が子をそっと置き、僕は本物のお母さんに連れられて家に帰った。懐かしい。

 つくることは楽しかった——。

「つくる」の隣には「楽しさ」がいつもいた。しかし、小学校に入ると「つくる」と「楽しさ」はだんだん疎遠になっていく。

 キッカケがあった。小学二年の美術の時間、クレヨンを使って各自好きな絵を描き、四人一組のグループ内で発表することになった。海の中を自由に泳ぐ魚たちや海底に生えたワカメの様子を隣の席に座る女の子の描く絵を真似しながら描いた僕は、それをグループ内で堂々と発表したが、「それ私の絵じゃん。やめて」とその子から指摘されたのだ。同じグループの子たちからも白い目で見られた。恥ずかしかった。

 何かをつくるときになぜ誰かの真似をしてはいけないのか——僕には理解できなかった。小学校で習い始めた「学問」というものは、基本的に何かを真似ることを僕に求めたからだ。算数の公式を覚えることも、漢字を覚えることも、都道府県名を覚えることも、すべて正解やお手本の真似だった。もっともうまく真似る子がテストで良い点を採ったし、通信簿で最高の評価を貰うことができた。そのルールを知った僕は、絵を描くという行為においても、絵を上手に描ける人の真似をした。ただそれだけだったのだ。

 そして、中学生や高校生になると何かを真似ることの重要性はますます高まっていた。うまく真似られる人が良い高校、良い大学に進学することができたからだ。つまり、この頃になると真似の巧拙は、親や先生に褒められて嬉しい、といった小学生の頃の自己満足とはわけが違い、今後の人生に大きく影響を及ぼすものとなっていたのだ。

 だから、僕は迷いなく真似る道を選んだ。選んだ、といっても意図的に選んだわけではなく、学校教育というシステムに身を任せてきたら、それが真似る道だったのだ。自然の成り行きだったとも言える。

 そして、それは同時につくる道を手放すことでもあった。つくることにおいて求められる自分らしさは、何かを真似ることにおいては邪魔者でしかなかった。だから、真似る道を選んだことは、つくる道を捨てたことでもあったのだ。

 幸いなことに、僕の作戦はたぶん成功した。世の中的には一流と言われる大学に入り、所謂良い会社にも入ることができた。それらは僕が歩んできた真似る道の延長上にあったものだった。その時々に求められる正解を把握し、忠実に再現する。つまり、真似ること。長い歳月をかけて磨き上げたその力に頼っていれば、とりあえずは安泰だった。

 しかし、真似る道を進む上で脇に追いやられた自分らしさは死滅したわけではなく、消されていこうとすればするほど、もっと大きな悲鳴を上げるようになった。社会的な成功とは裏腹に、次第に大きくなるその声に耐えられず、僕は会社を辞めた。かといって、次の明確な計画があるわけではなかった。

 そんなある日、たまたま立ち寄った書店で、ある小説に出逢う。伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』という本だ。小説はほとんど読んだことがなかった。ただ、表紙のデザインとオビの【敵は先入観。世界をひっくり返せ!】という一言に惹かれ、買って早速読んだ。

 感動した。そして、小説をほとんど読んだこともないのに、小説を「僕も書きたい」と思った。本気で思ってしまった。

 幼稚園の頃、友達が親のジーンズの生地で泥団子の表面を磨き、青光りする泥団子を作ったことがあった。その時、「僕も作りたい」と思い、父親の古くなったジーンズの生地をハサミで勝手に切り取り、同じく青光りする泥団子を作った。その時に似た感覚だった。

 短い小説を初めて書いてみた。真似る道を歩む中で脇に追いやった自分らしさを捜し、見つけ、拾い集めるには、想像以上に長い時間がかかった。しかし、例えば、死にそうになっている人を救ってあげたら喜ばれ、その人の喜びが自分にも伝わってくるみたいに、今まで半殺しにしてきた自分らしさが喜んでいるのか、自分らしさの結晶である小説を書きあげた時の喜びはひとしおだった。

 つくることは楽しいじゃないか——。

「つくる」の隣に「楽しさ」が再び現れた。しかし、僕が歳をとった分、「楽しさ」も一緒に歳をとったのだろうか。幼稚園の頃よりもっと複雑で重厚で、もっと強烈に心の奥深くに入り込んでくる。

 今まで築き上げてきた何かを真似る力はきっと無駄にならない。人の心を掴む物語には法則があるから、その法則を真似た上に自分らしさを乗っけるなら、より素晴らしい作品を作り上げることができる。

 泥団子作りの記憶が蘇る。

 ひとつひとつの泥団子に我が子のように名前を付ける風景が、書き上げた小説たちにタイトルを与える今と重なる。

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?