私が好きなのは「勉強」じゃなくて「競争」だったことに気づいた話
中学〜高校まで、「勉強を頑張っていた」という自負がある。
いわゆるガリ勉というやつ。
大人になってからも何度か、受験期の厳しい日々を思い出した。
必死こいて勉強したあの日々や、それによって手にした学歴は
「自分はやりゃーこれだけ努力できんだぜ!」
ってことの証明になると思ってた。
to do リストを毎日作っては、要領命!で問題数をこなした、学生時代。
社会人になってからも、
「学生時代の”勉強”は、仕事を手際よく・根気強く・ハイスピードでこなすための練習になっていたんだな〜」なんて。
”勉強を頑張ること”って、そういうことに将来役立つんだなって思ってた。
でも、結局自分は、自分が勝てそうな競争に勝ちたいだけだったんだな。
勉強が、私の武器だった。
典型的な、競争社会日本の教育の賜物だよね。
受験をゴールにしていた私は、大学に入った途端、
「え、何しよ」ってなった。
自分が何をしたいのか分からなくなってしまったんだ。
ゴールの設定を間違えていたから。
すると今度は、就職をゴールにし始めた。
そんで就職したら、今度はゴールがどこだか分からなくなった。
次のゴールは…、65歳?
私は、ゴールの見えないマラソンから一旦抜け出し、
ゴールの要らない旅に、路線変更をした。
こんなエッセイをぽわんぽわんと考えながら、
1日1時間散歩に費やすニートであります。
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