マイノリティのすすめ  ー又吉直樹の動画よりー

たまたま観た又吉の動画の中でマイノリティに関して話している回があった

聞くと又吉は小学校から中学校に上がる時
同級生が8:2で2つの中学校に分かれることになった際、自分は2の方だった

サッカーの仲間も親友ともほぼ別れ2の方になったため、人とちょっと違った性質をもつ自分は、初めての人たちの中で苦労した 

そして、高校にはサッカーで進学したため、その中学から1人しか進学せず、遠距離だった

その後お笑い目指して東京へ

というようにいつも少ない方、1人の方に自分がいた、という話

けど、その良さも確かにあったのだと話は続いていく

そう言えば私もそうだなぁと振り返った

小学校は本来の学区からちょっと離れたところに就学前のタイミングで引っ越したのだが私は姉や兄と同じ旧学区の小学校に行った
幼かった私にとって、1.4キロの通学路はなかなか遠く、道中に家がある友だちと一緒に帰るのだが、だいたいその友だちの家に寄らせてもらって、カルピスや、甘い麦茶、梅ジュースなどをもらったものだ。
本屋さんの子の家にはしっかり家に上がって、少女フレンド、コミック、リボン、などちょいと読ませてもらったりもした
家までとても長く感じたものだ

小学校というとその寄り道のことと、目が悪かったので視力検査が嫌で嫌で仕方なかったことが印象に残る

中学は本来の学区に進学することになったため小学校の友だちとは99%離れた

そしてその中学校は小学校からの持ち上がり組がほとんど、
その他には私を含めて県外から転校してきた子が数名いるだけだったので私もまるで転校生のように多くの同級生が教室まで覗きに来たものだった

私は音楽と美術が好きなくらいで勉強も体育もまるで自信がなかったが、新しい友だちに囲まれて、張り切っていたのか少しずつ勉強を頑張れるようになっていた

と言っても中の上、たまに上位に食い込むことができたが元々が大した頭じゃないからか県内有数の進学校を目指す程には伸びなかった

中2の時に踏切で自転車ごと転んで腕を骨折した時の入院がきっかけで看護師を目指す目標ができた

こうと決めたらすぐにその気になるタイプの私は高校の看護科に行きたいと希望を出した

親や担任とすったもんだありつつも受験勉強を頑張ってその中学校からたった1人で進学した
自宅から最寄駅まで自転車で10分、電車で40分、その後徒歩で20分かかる高校だった

学校のなかで看護科っていうのはまた異質で、学年に1クラスしかない、3年間同じメンバーで学び進級するため結束が固いとも言えるが、皆飽き飽きしてるとも言えた

教務の熱いメッセージ性のある御託が面倒でいつもしっかり話を聴いていなかった私はしょっちゅう教務室に呼ばれて説教された。

普通科に行けばよかったなぁと何度も何度も後悔した。

それでも看護師を目指す気持ちは消えなかったのでちゃんと卒業し、その後
の進学先は横浜を選んだ

過去、誰もそこに進学していずまたまた私は皆とは外れた方向を選んだことになる

幸いその時は親友も同じ学校を目指すと言って2人で受験し、2人共合格した

やはりそこも地元が6割、あとは地方からバラバラに集まって45人1クラス

今思えばカリキュラムもキツく、実習も多い日々だったがバイトもして、よく遊んだ

そして卒業後は横浜で4年3ヶ月働いて、地元に戻った

横浜の病院で出会った夫とは長くつきあい、その後結婚し北陸に来た

太平洋側の人間が北陸に嫁ぐというのはなかなかヘビーな毎日だった

ずっと離れていた夫がそばにいたが、それでも孤独を感じた
今思えば鬱になりかけていたように思うが、あの頃はそんな風に考えず、すぐ妊娠したことも影響したのか何かから守るように寝てばかりいた

自分はよそ者だ、と感じながら暮らしていた

そんな中で県外出身者の人と知り合っては仲良くなって心強い関係を作っていった

私はいつも少ないコミュニティの中で頑張っていたような気がする

部活やクラブ、趣味に関してもいつも人の少ない所に魅力を感じた

そして、寂しがりやではあるが、1人でやることが大好きな人間でもある

映画や本や、キルト、好きなことは1人でも成立することばかり

1人でコツコツと、地道にやって色んなことを考えるのが好きなんだ

と、又吉きっかけで自分のこれまでを振り返ることが出来た


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