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理解のある病院と周囲に理解者がいないことに苦しんでいた患者との出会い

母と姉に連れて行ってもらい札幌市西区のOという精神病院へ向かいました。
通院での転院ですが、大人の発達障害の気があるために親へのインタビューもあるということで着いてきてもらいました。

病院の駐車場に着いたのは30分早い12時30分。
母と姉は車の中でのんびり12時からの朝の連続ドラマ小説の再放送を楽しんでいました。

私は転院することで新しい環境が始まることに恐れ慄いていました。

で、
駐車している車の中から宛もなく逃げ出しました。

母親はいつものことかと思いながらかもしれませんが、あとから着いてきてくれました。
姉はいつもの待ちの構えです。

とは言っても自分の家までは徒歩でも充分に通えるくらいの距離の精神病院なのでさすがにそこまで歩くのは気が引けて途中のあるお宅の前まで行って、歩くのをやめました。
数分後、歩くのもしんどそうに母が私の元に追いついてきました。

その場でヘタりこんでいる私の傍に立ち丸まった背中を優しく撫でてくれました。

以前から苦しい気持ちを吐き出せずに目の前から逃げ出してしまう傾向があるのですが、その日も出てしまいました。
「落ち着いたら戻るから」と追いかけてくれた母を車に先にもどし、
少し落ち着いてから自動販売機で温かいミルクティーを買い車に戻りました。

そうこうしているうちに、午後1時になりました。

受付を済ませ医師の診察を待ちます。
3時になって心理士さんが色々な検査をしようと検査キットを持ってきてくれ、母と姉にも同じようなマークシート形式の私の発達状況に関する検査を受けさせてくれました。

それから、私のみの発達状況に対するインタビューをして、
それからまた1時間ほど後。

ようやくO病院の院長先生との面談になりました。

重い鬱状態であること。ネット依存症であることが分かりました。
それは分かっていたことですので飲み込んで。

いよいよ発達障害かというインタビューです。

産まれる前に祖父がなくなり、両親はその家業である馬牧場を継ぎ学校教諭からの転職をしたわけなのですが、全くの畑違いであり、祖父の仕事もあまり手伝ってこなかった両親は何もわからぬままその家業を継いだわけで。
そんなさなかに生まれた下の兄妹である私たちのことなんて構っている時間は全くなかったと母は悔やみます。

兄は手のかからないけれどすこぶる優秀な子供で何をさせてもよくできるいい子でした。
私は生まれてきて本当はで手のかかる子供だったのですが、親たちのそんな事情もわからず。ただただ放って置かれたので子供の頃であれば手を尽くせば順調に成長する機会や対人恐怖症などの気もなく治せたのだろうと思います。

今は対処療法しか出来ませんから。

大体1時間ほどに渡る母と姉へのインダビューも終わり、O病院を出たのは辺りがすっかり暗くなってからでした。

O病院は私には居心地の良いとても親切で寄り添ってくれる病院でした。
早く通えばよかったと思います。

特にその病気を隠すことがなくそのままの自分でいていいのだって言うことを感じさせてくれるところが良かったのです。
いままではその病気であることを恥じてくださいとでもいうような病院にしか出会ってこなかったので。ここまで自分のままでいていいんだと思わせてくれる病院に出逢えたのは本当に幸いであると思います。

これからよくなるっていうことはもしかしたら無いのかもしれないけれども、それでも、
きちんと通って少しでも良くなりたいと思います。

対人恐怖だけは治したいなぁ…

各地をお散歩して歩いでいます 小説家未満 自分の文体をきちんと向き合って作っていこうと思っています。