マガジンのカバー画像

美術館の新しい開きかた。「作品のない展示室」の個人的記録

33
コロナ禍の2020年3月〜9月の記録。「作品のない展示室」で妙に注目されてしまった東京・世田谷美術館の中から見えていたこと。こんなふうに新しく開くこともできる、という発見の日々。
運営しているクリエイター

#ダンス

なぜ、あの募金箱はいっぱいになったのか。【美術館再開日記25】

日々いろいろびっくりが続いた「作品のない展示室」だが、なかでも募金箱には驚愕した。置いたのは初めてで、とりあえずやれることをやる、の一環だった。最終日、箱は、ぎっしり埋まっていた。たくさんの小銭と、何十枚もの千円札で。 「お願いだからお金を払わせてほしい」というつぶやきをSNS上で見かけたときは、そう感じていただけた方もいるんだな、とは思った。ありがたい限りだ。何も作品がないのに。そう、美術館の中の人間にとっては、「作品を見せる」ことに対して(のみ)対価をいただくのが常識で

誰もが、等身大の自分の体験を語りたくなった企画。【美術館再開日記21】

「作品のない展示室」は、最終的に17,000人近くが訪れた。東京郊外のたいして大きくもない美術館としては、けっこうな数である。SNSには日々たくさんの写真とコメントが現れた。ハッシュタグ付きでツイッターとインスタに流れたものは、ほぼすべて目を通したと思う。とってもおもしろかった。 写真でダントツで多かったのは、当然ながら扇形展示室のパノラマ的借景を撮った「ど定番」イメージだ。私もけっこう撮った。やっぱりきれいだし。↓ ところが、会期終盤が近づくにつれ、様子が変わった。ちょ

縁の下の力持ち、事務方スタッフの真剣なウキウキが嬉しい。【美術館再開日記23】

どんなジャンルのクリエーションの現場もそうだと思うが、強力な裏方なしにはことが進まない。舞台芸術であれば、公演パンフレットに照明や音響はもちろん受付事務に至るまで、ほぼ全関係者の氏名が載るが、美術展の場合はそういう慣習がない。しかし名前が出ようが出まいが、たくさんの裏方が日々全国の文化施設で働いている。もちろん当館でもである。 「作品のない展示室」の最終日にパフォーマンス「明日の美術館をひらくために」を行うにあたり、コロナで非公開にせざるを得ないとなって、ならば館内スタッフ

来場者1万人越え、の「作品のない展示室」でリハーサル開始。【美術館再開日記20】

「作品のない展示室」最終日のクロージング・プロジェクト、「明日の美術館をひらくために」。そのパフォーマンスのアイディアが生まれたのは6月25日、展示室はいまだ閉めっぱなしで、職場にはオンライン会議ができる環境もなかった。休みを取って自宅でpcに向かい、振付家・ダンサーの鈴木ユキオさん、そして彼のパートナー安次嶺菜緒さんと、Zoomで会う。コロナ感染拡大を睨みながら敢行した彼らの自主公演を観たのは3月、なんと昔に感じることか。以下、日記には書かなかったが忘れたくないことを、書い

「狂人」のダンス。文化イベントのお値段。「戦後」75年目の国で。【美術館再開日記19】

後半は少々なまなましい話かもしれない。前半と後半はどうつながっているのか、と思われるかもしれない。8月なかばに観た「狂人」のダンスと、メディアがらみの大型展覧会の話。つないでくれたのはたぶん、ドナルド・キーンの自伝だ。 いわゆる終戦記念日の前後から、キーンさん(知り合いでもないのにこう呼びたくなる)の自伝を読みはじめていた。和訳もあるが、若き日のキーンさんの写真が魅力的な原書の方をあげておく(山口晃のカラー挿絵入り)。この人がどんなふうに日本の文化に出会ってきたか、それはこ

空間の記憶が、何十年もの時を飛び越えて、ひとをひきよせる。【美術館再開日記15】

7月末のある日、美術館にびっくりする問い合わせのお電話があった。で、タイトルどおりのことが起こったのだった。7月28日の日記の後半である。そしてそれとは別に(いや別ではないのかもしれない)、そもそも世田谷美術館の1階展示室の、なんとも独特の特性について気づかされたこと。実はそもそも「室」ではなく「回廊」なのじゃないか、極端な話。自分の体感から導き出されたこと。 美術館再開49日目、7/28、晴れから雨。空間の記憶、そのすごさについて。 都内のコロナ感染確定者ざっくり300

「作品のない展示室」オープン直前、ぶつかる、でも大丈夫な気がする。【美術館再開日記7】

開幕ギリギリまで準備した「特集 建築と自然とパフォーマンス」。「作品のない展示室」の最後のアーカイヴ展示だ。てんやわんやの準備のなか、展示だけではダメだと思い始めた。今、こんな状況だからこそ生身のアーティストと何かをやろう。やる。 という決意と対話の再開第5週は、しかしコロナ感染者の再急増という事態にぶつかる。ぶつかりといえば、「作品のない展示室」全体の、最終の姿が生まれるまでの議論もあった(詳細は割愛)。こういう議論は世代交代の一歩だなーとも感じていた。 どっちも未知。で

あらためて、美術館の空間と向き合う。【美術館再開日記4】

再開1週間目の会議で、思いがけず「からっぽでいいから展示室を開ける」ことが決まった。当館の場合、からっぽだと、ふだんは移動壁などで隠してある窓を見せられる。それなりに長く勤めている人は、それが何を意味するか知っている。ただの白いハコにはならない。美しい借景をも堪能できてしまう空間になる。 ゆえに、どれだけ良い展覧会を企画できるかと日夜身を削っている学芸員にとっては、禁じ手でもある。「こんな時じゃないとできないことだし、無料開放だし、来場者も喜ぶかも」という意見が多いなか、黙

美術館再開日記、ちょっとずつアップします

コロナ禍の美術館でー「作品のない展示室」2020年は誰も想像していなかった年になった。コロナウィルスによって。これを書いている今も、世界中でまだ誰もが手探りを続けている。でも薄明かりは射している。未知の誰かときっと手を結べる気がする。 私は東京郊外にある公立美術館に勤務している。 世田谷美術館。略して「セタビ」とよばれる。緑豊かな公園の一角にある。 1986年開館、バブル期の華やぎをひとときまとい、2000年代以降はかなり「冬の時代」を生きている文化施設であるが、アンリ・