Bさん

最近「発達障害」という言葉をよく目にする。ADHDやASD、一般には知能に問題のない、コミュニケーション能力の欠如、衝動性、注意欠陥などをさす。
発現率は20人に1人程度と言われ、大体クラスに1〜2人いることになる、と言えば思い当たる人も多いだろう。
これは発現率としてはかなり高く、そのため「障害」というネガティブな呼称を使わず「非定型発達特性」と呼ばれる傾向にあるようだ。

その意図の有無はさておき、アニメの主人公などはこのタイプが多い。
サザエさん、ドラえもん、のび太、映画で言えば寅さん。そそっかしくておっちょこちょい。危なっかしくて周りはヒヤヒヤするが、表裏がなく憎めない。落語に出てくる「与太郎」などもそう。これらはお話しの主人公なので面白おかしく描かれているが、こういった人が実際周りにいればいろいろトラブルになるだろう。

もちろん僕の子供時代にもこういう子供はいた。というかおそらく僕もその1人だった。ただその頃はそういった言葉はなく、クラスの問題児として扱われていた。教師には常に怒られ、学級会の議題として吊し上げられることも。おそらく集団行動には向いていない。
そう言えば中学時代や高校時代に楽しい思い出はほとんどない。別に虐められていた記憶はないのだが、それは僕が鈍感だったからなのかもしれない。その鈍感さに救われた反面、周りの人を傷つけ、長期的な関係を構築できなかったことが何度もある。

それもあってか、結果として一度も会社勤めや組織に属したことがない。大学で20年以上教えているけど、非常勤講師なので週一回行き、授業とレッスンをするだけで、会議や組織の運営には携わったことはない。
いわゆるフリーランスなのだけど、小さい時から確固たる意志をもってミュージシャンになったわけでもない。今もなぜ自分がミュージシャンなのかよくわからないくらいだ。
ただ、何となく自分にはサラリーマンは無理だろう、とは感じていた。

信州大医学部の発達心理がご専門の本田先生は「発達障害は治そうとせず、独特の文化を持つ少数民族として接するべき」と言う。
また不登校の理解促進に注力する東京シューレの方針として「靴に足を合わせるのではなく、足に合う靴を履く」を唱える。

非定型発達特性を子供に持つ親がよく言うのは「勉強が出来なくてもいい。ただ、せめて普通になってほしい」
この我が子が「普通」であってほしい、という親の気持ちは切実で、また多くの親は「うちの子は普通」と思いたいもの。
しかしこの「普通」が本人を追い詰めるケースはかなり多い。
「あなたも皆と同じ靴を履けるでしょ?」
子供もその親の期待に応えようとし自分の足を削り小さな靴に、あるいは靴擦れを作りながら大きな靴に合わせようとする。
その「正常バイアス」が特性以外の二次障害を誘発することは少なくない。
やはり足を靴に合わせるのでなく、あなたに合った靴を見つけるべき。ただし「あなたに合った靴」もタダではないのだが。

このブログを読む限り、非定型発達特性を周り及び本人が取りこぼしてきた結果、適切な支援と環境が与えられなかったことによるミスマッチに思えてならない。
これを一方的にモンスターとして扱うのでは何も解決しない。

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