鰻屋の天丼

東京に出てきて初めて住んだのは板橋と練馬の区界だった。
家の近くにはほんの申し訳程度の小さな商店街があり、そのなかの一つに鰻屋があった。といっても仕事もない駆け出しの若造に鰻など食べられるはずもなく、いつもただ前を通り過ぎるだけだった。

ある時その店の前を通ると「天丼始めました。大海老2本 500円」と手描きのイラストが貼り出されていた。

「500円か… これなら食べてもいいかな」
何度か迷った末、思い切って暖簾をくぐってみた。
店内は他に誰もいなかった。
無口そうな親方はおそらくまだ30代後半くらいだろうか。

「天丼ください」

供された天丼は看板通り大きな海老が2本乗っていて、想像した以上に美味しかった。
その日以来、割と頻繁に通うようになった。そして親方とも言葉を交わすようになり、いつしかかなり打ち解けて話すようになった。

「よく鰻焼くのに炭火使ってますって自慢してる店あるだろ、あれはダメ、火力が一定しないし一人では無理。」
「あと開業当時から継ぎ足し継ぎ足しのタレ、あれもウソ。鰻から出る脂ですぐ一杯になっちゃうから捨ててるよ」
親方はかなりのこだわりを持った方のようだった。
一度だけ、まとまったギャラをもらった時に鰻を食べたことがあるけど、僕にとってその店はやはりあの「天丼」だった。

しばらくして、その店の斜向かいに食堂が出来た。ラーメンとかカレーとかカツ丼とかを出す、ごく普通の町の食堂といった感じだった。

「三木くんさぁ、頼まれてくんないかな」
その食堂を偵察して味をみてきて欲しい。今日の天丼のお代はいいから、と。
「やっぱり同業者が食べに行くっていうのはマズイもんなんですか?」
「まぁ、そういうことでもないんだけどね、三木くんの感想も聞きたいし」

ということで僕は引き受けることにし、後日その食堂でラーメンを食べた。特別美味しいというものでもない普通のラーメンだったが、新装開店というのもあり店はそれなりに賑わっていた。
価格、店の雰囲気、清潔感、麺やスープのタイプ、具材などなるべく詳しく報告した。親方は有難うと言っていたがやはり何となく気が気でないようだった。

そもそもなぜ僕が親方とこんなふうに話すようになったかといえば、いつも僕以外に客がいなかったからだ。
僕は500円の天丼しか頼めなかったので、行くのは主に昼。駅からも遠く、幹線道路からは奥まった場所だったし近くに職場らしいところもない。いつも昼は閑散としていたが、まぁこんなものだろう、多分夜は商店街の人が飲みに来るのだろう、くらいにしか思っていなかった。

ある日、昼ごはんを食べそびれて日が暮れた頃にお店に寄ってみた。
「こんな時間でも天丼いいですか?」
「あぁ、いいよ」
親方はどことなく暗い表情をしていた。
この時間でも客は僕しかいなかった。
いつものように親方と世間話をしていて、ふと「でもあれですね、この時間なのに何でお客さん来ないんですかね、美味しいのに」
「え、あぁ、まあね、そういう日もあるよ」
その日はそのまま店を後にした。

数日してまたお昼にお店に行って天丼を注文したところ、親方は突然堰を切ったように怒鳴り始めた。

「おい、お前!この間、なんて言ったか覚えてるか?え?客が来ねえだと?何でそんなことお前に言われなきゃなんねーんだよ!」

僕は何が起こったのか分からずびっくりしてしまった。おそらく僕は何か踏んではいけない虎の尾を踏んでしまったのだ。
その後も親方は有名な料亭での修行時代のこと、独立してここに店を出したこと、商店街の付き合いは断っていることなどを交えながら怒鳴り続けた。「やるだけやってダメだったらしょうがねぇだろ!」

僕は無礼を詫び、這々の体で店を出た。
もちろんそれからはお店には行けない。それどころか店の前を通るのも気が進まず、別の道を通っていた。

それからひと月ほどたって、たまたまその店の前を通るのと、シャッターは降りて「閉店のお知らせ」が貼られていた。

結局、それっきりになってしまった。
願わくばあの天丼をもう一度食べたい。

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