通り名はDO IT!! 街で噂の女になる話 vol.3

なぜこんなタイトルにしたか。
いや、自慢でも自虐でももちろんなく、私は本当に街の噂だったのである。
DO IT!!のイケダと。
飲みに出かけると、あそこで飲んでたらしいよね?あのイベント行ってたよね?と言われる。
そして決まってvol.2はいつ出るの?と…

奔走に継ぐ奔走と、数々の人々の協力により、無事印刷され配布されたフリーペーパーDO IT!!vol.1。
イベントは、スモールサークルオブフレンズの東さんのアクトもあり、大盛況で3、400人が集まった。
集まる人々の目はキラキラ輝き、皆ワクワクし、何か始まるのを見届けよう、参加しようと、期待感で会場は満たされていた。ように私には見えた。

そして、イベントの売上は、お酒も自分で仕入れて売ったのでエントラス料金とあわせ、結構な額にもなった。
だが、箱代(1晩10万だった)、印刷代を支払い、複数回博多へ出向いたり、久留米、熊本まで配りに行ったのでその足代…など払うと残りはなかった。どころか、その頃は先の印刷会社は辞め、フリーで自宅でDTPの仕事をしていたのだが、DO IT!!にかける動きのお陰で2ヶ月程仕事はほとんどしていなった為、赤字だった。なので私は下関で水商売の世界に足を入れる事となる。

7000部も作らず、今度はぼちぼちな内容で作ればいいじゃないか?
人からは散々言われた。
でも、私は中途半端なものは作りたくなかった。
準備出来たら、
準備出来たらと、言っていて
それは単純に時間もだけと、メンタル的に出力するエネルギーをチャージしなくてはならなかった。

あれから30年弱経つけれど…
今なおチャージ出来ていない。
そのまんま、ここまで来てしまった。

文章を書くことは出来る。
こうして現に書いている。
だけどあんなに人を巻き込んで、つまりは人を動かすまでの熱量が私自身にあった訳で、あんな熱量はあれ以来湧くことはなかった。

そんな事より、下関で働く店で出会った人、つまり1人目の旦那との生活や、2人で行くなら良しと親から許可が降り、再び上京し、そこからの生活などに追われてた。

そして出産、0歳児で離婚、1人での子育て。
また新たなストーリーが始まった。
その前に、音楽業界で再び働いたこともあった。
その辺はまた別のタイトルで綴ろうと思っている。それが街で噂になった女の話しのお粗末なエンディングである。

少し話は反れるが、小沢君が復帰した時、テレビのインタビューで、世界各国へ旅したのは、アウトプットばかりに疲れてインプットしようと思った、と言うような話をしていた。

私は、およびもしないけれど、その気持ちはほんの少しだけわかると思った。
こうして長文のテキストを綴るのは楽しいし、今の私の支えにもなっている。それでも、ひとつ記事を上げると少し疲れる。
スペースもそうだ。
ずーっと喋り続けてばかりいると疲れる。誰でもきっとそうだろう。出力というのは快楽でもある反面、続けていると空洞化する。と言うと大袈裟だが、少し疲れてしまうんである。

なので私はバランスを取るべく、合間にNetflixで映画を見たり、Spotifyで音楽聞いたり、YouTubeで動画を見たりする。それが年齢を重ね私が学んだバランスを取る方法。そう考えると歳を重ねるというのは悪いことばかりでもない。

という訳でそろそろこのお題はおしまいにします。
兎に角、一生懸命頑張ったのです。
ここに綴ることにより、過去の自分を少し認めて、また、前へ進もう。
では!

また読んで頂けると嬉しいです。

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