運は引き寄せられるのか

運も実力のうち、とはいいますが、私は個人的には実力には入らないのかなと思ってます。

実際に私は運が良い方だと思ってるんですが、実力というよりも、人との縁を大切にすること、自分のなかで後悔しないよう考えられるすべてのことをやってみることが大切だと思っていて、これらが私の運を引き寄せてくれたように思います。

人との縁に関してですが、カナダに来てから特に、手を差し出してくれる人達に遠慮しすぎずお世話になり、助けてもらったことを忘れずに連絡を取り合うようにする、感謝の気持ちを述べる、誘ってもらったことはなるべく参加する、勧められたことはやってみる、ということを心がけていました。

そうすると、そこからできた友人達との関係性が、色々な面で私と娘を助けてくれたんです。

カレッジの英会話パートナーだった友人夫婦、自宅に招いてくれたので有り難くお邪魔し、それから仲良くなって、娘の子守りもしてくれるということで仕事のときに預かってくれたり、カレッジの勉強、就職活動、永住権の申請も助けてもらいました。
私は信頼できる移民エージェントや弁護士を見つけることが出来なかったので個人で永住権を申請しましたが、この友人夫婦は本当に親切で、ミキと娘に絶対に永住権を取らせるんだと、かなりの時間を費やしてサポートしてくれました。
一緒に移民局のウェブサイトを読む、職場に書類の記入を頼むためのE-mailを作る、などなど、普通の友達でここまでしてくれるだろうかというほどにお世話になり、彼らなしでは今の私達はないだろうなと思っています。
本人達は、自分達がいなくてもミキは同じようにここまでこれた、などと言ってますが、やはり彼らのお陰なのは間違いないです。
友人夫婦に、あなた達にしてもらったほど返せないというと、私達のことはいいから他の人達を助けてあげて、とよく言ってます。
英会話パートナーがこの友人だったのは本当にラッキーでしたが、英会話パートナーを申し込んだり、彼らの好意を受けとり関係を作る、というのは私の選択であって、英会話パートナーなんていらないとか、好意を示されても関係を作らないという選択をする人達もきっといるんだろうなと思うんですよね。
選択によっては、素晴らしい縁を逃すようなこともあるのかなと思います。

また、当時ルームレントをしてた家のオーナーに、暇なら教会に行ってみたらと言われ、ふらりと立ちよった教会でたまたま出会ったクリスチャンナースと友達になり、そのつながりが就職に繋がったこともありました。

娘の担任繋がりで知り合った、この地域に長く住んでる日本人の方達にもあれやこれやとお世話になり、今も定期的に顔を見せに行っています。

繋がりを大切にし感謝を表すことと同じくらい、自分は弱い立場であり助けが必要だと認めることも重要だと思います。
日本からカナダに来て、全く違う文化のなか英語もままならないのだから、当たり前と言えば当たり前です。でも時に、人に聞きすぎる、質問しすぎるのはどうなのかなどと遠慮したり深読みすることもあります。
それでも、自分は何も知らないのだからと、自分で調べて分からないことは経験や知識がある人達に知恵を貸してくれるよう頼む、ということが道を切り開くためのきっかけになったりするのだと思います。
聞く人は選ばなければなりませんが、その時々で役立つ情報を持つ適した人まで繋がるのにも、人づてだったりコネクションだったりと、結局は縁なのかなと感じます。

考え得るできる限りのことをやっておくというのはあとで後悔するのを防ぐためですが、色々と考え、方法を調べ、行動して、人に聞いて、とやっていると、それだけチャンスも広がります。
やれることは全てやったと自分で思うことができれば、思ったような結果にならなかった時も、あれだけやったんだからと、変更せざるを得なかった道も肯定的にとらえられると思います。

というわけで個人的に思うことを書いてみましたが、どうでしょうか。
人それぞれ経験も感じ方も違うので、こんなことしなくても運は良いよという方もいらっしゃるかもしれませんが、それはそれでとっても良いことだと思います。
そもそも運あるなしでなく、目的がある人たち全てが、努力に見合った分の目的を達成できるとフェアでいいとは思いますが、世の中はアンフェアなので、そうはいかないのが人生なのでしょうね。

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