「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」シーンごとに感想書いてみた①

まえがき

29歳男です。ガンダムなどのSFアニメ作品は、中高生のころに遊んだ「スーパーロボット大戦」や「G GENERATION」などを入口として数々観てきましたが、TSUTAYAで巻数が少ないことをいいことに借りてしまった本作は、中学生の自分に大きなトラウマと、定期的に見返したくなる悪魔的な魅力を植え付けていきました。

1989年、平成元年の作品ですね。ガンダムのサイドストーリーとしてはもちろん、1本の戦争映画としても本当に質の高い作品だと思っています。作品全体の論考や、ガンダムシリーズの中での文脈などは多く語られているところですが、全6話というコンパクトさと、映画オタクである高山文彦監督の実写を目指した映像づくりが、スケジュール的にきつい”TVアニメ”よりゆとりのある”OVA”というパッケージにぎゅっと凝縮されていて、見返すごとに各シーンで新たな発見があります故、順を追って書き出したくなりました。作品を観たあとに、ふーんという感じで目を通していただけたら幸いです。

できるだけ裏設定や、次話以降のストーリーに絡まない形で書いていきたいと思います。併記している秒数はPrime Videoを参照しています。数秒ずれてます。
(映像表現や、当時の制作事情等に詳しいわけではありませんので、見当違いのことがありましたらご容赦願います)


Aパート

Aパートは、
①0:00~ サイクロプス隊が、ガンダムの輸送を阻止するため北極基地を強襲
②5:40~ OP
③7:23~ 給食の時間に、アルがモビルスーツを見たと嘘をつく
④10:06~ アルが宇宙港に忍び込み、コンテナをビデオに撮る
と進行していきます。

シーン①

冒頭から質の高い作画で、戦闘シーンを5分の長尺で魅せてくれます。潜水艦の回るスクリューなんて浮いてるくらいリアル。荒々しい戦闘スタイルと、手首への正確な射撃、コクピットの中の小道具で、わざとらしいくらい荒くれ者のプロフェッショナル集団感を強調しています。ちなみに全6話中、ドラマ的なものを無視するならば戦闘シーンのピークはここでしょう。

熟練部隊が、ガンダムのいる秘密基地を強襲して蹂躙するけれども、作戦が失敗に終わってしまうのは初代ガンダムの1話も連想しました。

シーン②

①のシャトルが打ち上げられた空、アンディの死を嘆きシュタイナー隊長が見上げる空から、舞台が宇宙に移ります。カメラがズームインしていき、宇宙からコロニーの人工の大地、その中で暮らす市井の人々、登校して教室で授業を受ける主人公アルまでクローズアップされます。このスケール感の対比が、この作品では随所で嫌味なく美しく描かれていると思います。

アル達は指の銃でバンバン撃ち合いながら登校します。関西ではないので「うぅ、、やられた、、」とはなりません。平和なコロニーで暮らす子供達にとって、戦争はごっこ遊びの題材でしかありません。この少年達が6話でどう成長していくか。

シーン③

アルの初セリフ「げぇまた合成タンパクかよ…!」は作中でも人気の高いセリフです。(当時の)未来の技術で学校給食の質が落ちてくる、という形で戦争の影響が描かれます。SF的ギャグセリフで、でも背景では戦争でたくさんの人が死んでいて僕らにはブラックジョーク的にも聞こえます。牛乳もげぇって顔で飲んでいて、脱脂粉乳か何かでしょうか?

「戦争の影響で物資が不足しているせいだって、ママが言ってた。」
「戦争してんのはジオンと連邦だぞ。このコロニーに関係ないだろ?」
ロシアウクライナ戦争が起きてから今、共感したくもあり、してはいけないとも思い、何か突きつけられるようなセリフ。

この作品は「」が原動力となって動いていく物語です。嘘つきアルくんは、この後も大から小から嘘をつきつづけますが、記念すべきファースト嘘は「運輸会社の父親にモビルスーツを見せてもらった」でした。それ嘘ね、と指摘されておどおど嘘に嘘を重ねるアルを10秒ほどかけて演技させて嘘であることを画で強調します。ガンダムを観たことがある人は、連邦に黒くて大きいモビルスーツがないことを知っているので、より俯瞰的にコミカルに見えます。

嘘をつきあい疑うことなく信じてしまう”少年”と、証拠がないならぜんぶ嘘と言い切ってしまう”少女”が対比されています。友達が嘘をついていないとかばったのがきっかけで、「パイロットの兄ちゃんの階級章」をもらうために「黒くてでっかいモビルスーツ」のビデオを撮りに行くために、次のシーンに進みます。

シーン④

宇宙港に向かう路面電車で、アルの顔越しの窓ガラスに反転した街の風景が写し出される、こういう重要でないカットに細やかな気配りを感じます。

宇宙港は低重力区域になっていることがここからのシーンで表現されていますが、まず帽子が置いていかれることでアルのはやる気持ちが伝わってきます。シーンの最後で作業員が「(トイレ)漏らすんじゃねぇぞ」とアルに言いますが、一見自然なセリフなようで実は低重力区域だから出た言葉でしょう。

いちいち言うと、このシーンでもアルは「忘れ物をした」「父親の船を迎えに来た」「トイレを探して迷った」と天性の嘘つきっぷりでモビルスーツ盗撮作戦を行います。偶然撮影したコンテナは①で北極から発射されたものだと視聴者はわかるのですが、激しい戦闘の中打ち上げられたコンテナが平和なコロニーに運び込まれ、何も知らない少年アルがそれに無自覚に近づいてしまう。”嘘ついたことをバレたくない”動機でコンテナを撮影したアルが立ち去った後、僕らにコンテナの中身(ガンダム)を見せてくれてAパート終了です。志村後ろ後ろ!


Bパート

Bパートは、
①12:59~ アルが父と会い、帰路につく
②14:08~ アルが隣家のお姉さんクリスと再会し、クリスの家で雨宿りする
③16:19~ 帰宅したアルが母親と夕食をとる
④17:11~ 部屋に戻ったアルが母に隠れてTVゲームをする
⑤18:24~ 目覚めたアルが窓越しにクリスと会い、いっしょに登校する
⑥19:41~ 休み時間に市街地戦が起きて、アルがザクを追い学校を飛び出す
⑦22:04~ 森林公園に不時着したザクから現れたパイロットと対峙するアル
と進行していきます。

シーン①

印象的な演出でとてもお気に入りのシーンです。アルと父の会話は45秒ほどのシーンですが、父を映すのはおよそ2秒。”モビルスーツを見せてもらえるようお願いしてほしい”と言い出せないアルは普段とちがって大人しく、帽子をいじいじしながら身が入らない会話をしている。父が喋っても画面が切り返さないので、父を映さない=アルだけを映すということになりますが、父を映さないのはアルの心情で「無理なお願いを言い出せずお父さんの顔を見られないアル」に感情移入でき、アルを映しているのは父の視点で「子どもがいつもと違う様子でそわそわしている状態」をよく観察できます。さらに、成績を聞かれたアルはこれまた息を吐くように嘘をつき、本当の成績表がフラッシュバックする。僕らは、嘘をついたアルを画面の外から見ることで見た目の子供らしさに加えて、中身の子供らしさまで受け取ることになる。

この間のアルは、目が泳いだり手いじりしたり常に演技をしていて、思い出したのが、カルト的な人気を誇るアニメ版星のカービィです。デデデ大王が自分のアニメを作らせる回で、登場人物の口パクを切り返して会話するシーンを「こういうアニメは安く作れるね」と指摘したセリフがありました。翻って、安く作ったアニメでないことがよーくわかります。

そして「お願いがあるんだけど・・・」とアルが言うところで、はじめて厳格そうな父の顔が映り、勇気を出して無理なお願いをする子供の気持ちに一気に引き戻されます。お願いの結果は、帰り道で自販機の紙コップをクシャッと潰すシーン(ここまでセリフなし)で表現され、たぶん怒られたであろうことを感じさせます。作画を割いて演技をさせたり、片やセリフをバッサリ切ってその後の画で示すなど、とても実写映画的な手法を意識していることがわかります。

シーン②

クリスティーナ(キリスト教徒)の名前に象徴されるように、「嘘」が飛び交う本作の中で彼女は正直ではじめから完成されたキャラクターとして登場します。アルには「政府関係の仕事」の転勤で戻ってきたと説明しますが、A④と同じように、アルの知らないところで彼女のスーツケースからは軍服がでてきます。嘘はつかないが余計なことも言わない、という大人像が示されています。

この話では、アルがこのシーンだけ嘘をついていません。アルにとって、嘘をつかなくていい安らぎの場所なんでしょう。アルとクリスが、ダンボールの椅子と机でミルクティーを幸せそうに飲む光景は、戦争が近づきつつあるこのコロニーの仮初の平和を象徴しているようだとも思いました。

シーン③

②の心落ち着くシーンの終わりから、いきなりお母さんのヒステリック口調のお説教のギャップがすごくて、アルでなくてもウゲッとなってしまうはじまり。イズルハ家は、父も母も教育熱心で過保護気味なくらい子供に関心はあるんだけど、それがアルにとっては窮屈で、叱られるのが嫌なために嘘をついて回避する癖がついて育ってしまったのかなと思います。後ろで鳴る雨の音が、より親子の会話の口数の少なさを強調しているようです。「お父さんと食べた」と言って夕食を残して、アルは部屋へ戻ります。

シーン④

なかなか不気味なシーンです。部屋の様子を見渡すアルの母に窮屈さを感じながらも、自分はいい子を演じて「はい」しか言えない。アルはゲームの中の街を壊すことでしか、鬱憤を解消できません。少年役を本当の少年が演じているリアルさとはかけ離れたような、「はい、はい、はい」の無機質さが不気味さを際立たせています。ゲームとアルの描写は後の話にも出てきて、1話のアルとの対比が描かれますが、このときのアルにとっては、街を壊すことは単にストレス解消の手段で、ゲームの中のできごと以上の意味は持っていません。

シーン⑤

アルがカーテンを開けると陽の光に目がくらみ、その先には窓から顔を出すクリスが。アルにとってクリスはマブい(!)女性で、嘘をつかなくていい優しいお姉さんなのです。ではなんでクリスに「教室で立たされるのはたまに」と嘘をついたのでしょう。ここまでアルがついてきたのは「その場で怒られるのを回避するため」の少年の嘘でした。ここでの嘘は動機が少し違うように思えます。憧れのクリスに少しええかっこしたい「自分を大きく見せるため」の青年の嘘なのです。これは、この後登場する青年バーニィがよくつく類の嘘です。

アルにとっては家と小学校が今の世界のすべてであって、中学や高校については「先のことなんてわからない」と言います。ここにアルの子供らしさが象徴されていて、後先考えず脈絡なく嘘をついてしまう少年がこのあとどのように成長していくかの出発点になっています。

シーン⑥

ついに平和だったコロニーに本物の戦争が訪れてしまいます。ここでまたスケール対比のうまい技があるなと思ったのが、A③でチェイがパイロットの兄のものと言っていた階級章を、ドロシーが近所のおもちゃ屋で売っていたと嘘を暴いた直後、同じくA③でドロシーがあるわけないと言っていた連邦のモビルスーツ・ジムが現れて、ドロシーのデマも暴かれてしまいます。指先サイズの嘘(階級章)と18m大のデマ(モビルスーツ)が連鎖的にバレるシーンとなっていて、さらに、交戦するモビルスーツの流れ弾や倒れた巨体で破壊されていく街と逃げ惑う人々、それを学校の屋上から眺めるアル達、とA②のOPと逆にどんどんカメラがズームアウトしていきます。

アルは1つ目の巨人(サイクロプス)と目を合わせたかのように魅せられてしまい、ザクを”追いかけて”自分から近づいていってしまいます。Aパートでガンダムのコンテナに近づいてしまったのが”子供の無知や嘘をつく愚かさ”からだとしたら、ザクを追いかけるのは”子供の不用意な好奇心”のように思います。運命から逃れられないアルと、それに自らのめり込んでいってしまうアルを、俯瞰から見て取れるでしょう。

シーン⑦

まず不時着したザクの重厚感です。8枚の背景画を使って様々な角度から描いていて、ベタ塗りのセル画ではこのような巨大感、少年がはじめて間近で見た兵器のワクワク感を表現できなかったと思います。ザクに近づいていくアルを、寄りと引きのカットを繰り返してスケール感たっぷりに描写しています。土手で滑ってしまい、ザクと同じように尻もちをついたアルの姿は、この後共に歩むザク=バーニィとの運命を暗示しているようです。ザクのはるか高い位置からアルに銃を構えるバーニィのカットでBパート終了です。

”ポケット”の中の”戦争”という作品タイトルにも象徴されているような、ミクロとマクロが交錯するスケール感の対比、つまらない日常を戦争がぶっ壊してくれるのではないかという少年の無邪気な好奇心がぎゅっと詰め込まれた密度の高い1話だと思いました。


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