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BR東京・中澤選手、ラグビーから2回目の卒業

ラグビー選手はいつかは引退すると分かっていても、好きな選手の引退に接すると胸が詰まります。

中澤健宏選手、現役生活おつかれさまでした。

中澤健宏選手とは

1991年埼玉県生まれ。所沢北高校でラグビーに出会い、立教大学ラグビー部(当時は対抗戦B)でラグビーを続けます。

大学卒業後はトップリーグ等の社会人チームには所属しない道を選択します。みずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)で営業職に就きながら、休日にラグビーをする生活になりました。

しかし、ラグビーワールドカップ2015™イングランド大会の『ブライトンの奇跡』と呼ばれる日本が南アフリカを制したジャイアントキリングを見て、もう一度ラグビー界に帰ってくることを決意します。
そして2016年、リコーブラックラムズ東京に入団と同時に、株式会社リコーに勤務する中途採用社会人選手という異色の経歴の選手が誕生しました。

ラグビーに戻ってきたいと願い、実際に戻ってくる行動を起こす、そして実際に戻ってきた。その情熱と目標達成力が胸熱です。

リーグワンになって以降、公式戦への出場機会がなく、また怪我も多かったのか、ご本人にとっては楽しいばかりの時期ではなかったように思います。

SNSで見られる練習試合でのプレーはカッコよかった!!
申し訳ないほど欲張りなことを言えば、もっとプレーが見たかった。

お姫様抱っこの思い出

私個人的な中澤選手との思い出と言えば

今思い出しても恥ずかしいし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、一生忘れないであろう思い出です。

そして引退、2回目の卒業

リーグワンになって以降、公式戦への出場機会がないシーズンが続いていました。だから、退団のニュースには驚きましたが、意外ではありませんでした。

大学卒業後に一度ラグビー選手を辞めた中澤選手が、今シーズンでラグビーから引退。2回目の卒業がおそらく最後の卒業になります。

明日(というか、もう今日)のリコーブラックラムズ東京のファン感謝イベントがお会いできる最後のチャンスとして残っています。

お礼が言いたい!

中澤選手へ ありがとうございました

退団と引退の発表にとても驚きました。
ラグビー選手でいられる時間は長くはなく、いつかは来ると分かっていても好きな選手の引退はいつだって寂しい。寂しいと言ってばかりいてはお礼を伝えられない... と奮起して手紙を書いています。

最初の中澤選手を知ったのは立教大学時代で、不届きな私はすっかり忘れていたのですが、リコーブラックラムズで再びプレーをしていると知った時には、驚きとともにその熱量に衝撃を受け、すぐに「応援したい!」と思いました。プレーする姿を追いかけ続けられなかったのは残念ですが、試合会場や練習グラウンドでお見掛けするのがいつも嬉しい時間でした。

特に昨シーズンの「あなたの夢、叶えます」では本当にありがとうございました。一生の思い出として大切にします。さらに、その後もお会いするたびに声をかけさせていただいて、ラグビーファン歴の中で初めての”会うたびに挨拶したい”選手でした。偶像みたいな存在でなく、1人の人として、というか誠実にまっすぐ相対したい、新しいラグビー選手との関係を教えてくれたのが中澤さんでした。

引退後は社業に進まれると伺いました。次のステージでのご活躍が楽しみです。
ずっとラグビーを好きでいたら、またどこかでお会いできるでしょうか。いつの日かを楽しみにしております。それまでは職場のRICOH製プリンターを見ながら、ご活躍をお祈りしております。(笑)

本当にありがとうございました。

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