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やっただけのぶんしか得られない。

 人生は、著しい暴力にさらされているのでないかぎり、だいたいいつもバランスが取れているものだ。何かをすればそのぶんの何かを得る、あるいは失う。物理法則と同じように、この法則は私たちの人生を支配している。
 わりと多くの人が、そのバランスを超えた得をしようと細工をこらしてしまう。私ももちろん、なんだかんだと小狡いことにトライしてきた。でもそれは絶対にうまくいかないのだ。一旦はうまくやり過ごしたように思えても、必ずあとでその調整が始まる。若いうちはとくに、幾度となくその調整を免れようとしては失敗することになる。私の場合、二十代のうちにその悪あがきは嫌というほどやったので、三十代はなるべくシンプルに、実直に生きたい。
 勘違いしがちだが、それは、「二兎を追わないようにする」ということじゃない。「二兎を追う者は一兎をも得ず」というのは、半分本当で半分違うと思う。二兎を追うものが、二兎とも得ることはあるし、なんとか一兎だけは得て終わることもある。一兎を追うものが必ず一兎を得るわけでないのと同じだ。「一兎を追う」方が確実そうに見えることと、結果の関係は実は薄いと感じている。
 そして、私は二兎を追うタイプだ。評論も創作も、文章もマンガも、プライベートの充実も名声も、どちらかを諦めることなく追いたい、
 ただ、忘れてはいけないことがひとつある。「二兎を追った責任」は必ず取らされる。別に、二兎を追うこと自体が悪いわけじゃない。善悪とは関係なく、一兎を追ったものはそのぶんだけの、二兎を追ったものはそのぶんだけの何かを人生で背負うのである。

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