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社会に対して口うるさい女には、全部受け止めてもらえる結婚は無理だと思っていた。

 自分の結婚について書いてみよう、と思って書き始めたら1万字くらいになってしまった。内容としてはタイトルの通りで、自分を受けてもらえる結婚なんて無理だと思っていたが意外とできてしまった、というだけの話である。ドラマチックな波乱の話などはない。

 私が結婚前に何で悩んでいた(どうして理想の結婚が無理だと思っていたか)かや、夫とどう出会って結婚したかをここでは書いているが、どこまでいっても「私の場合はこうだった」というだけの話なので、こうせいああせいという話ではないということはご承知おきいただきたい。
 長く書くほどの話ではない気もするが、まあ自分のnoteの記事だし、もしかしたら私と似たようなタイプの人にはヒントになることも含まれるかもしれない、と思ったのであまり間引かずに投稿してしまうことにする。「書こうと思えばここについてはもっと書けるな」と思う箇所がたくさんあったので、また時間のあるときにでも書こうと思う。

 ちなみに私は手続きとしての婚姻や、そこで重要な役割をはたす戸籍制度についてはたくさんの「思うところ」がある。日本の婚姻制度が、「一緒に生きていきたい相手と、より強い社会保護のもと生きていきたい」と望む人たちの中でも限定的な条件の人々にしかひらかれていないという事実は、実際に結婚してみてから私にとってより重いものとなった。しかしこのあたりについて書くのは次の機会に譲りたい。


1 会話


 2020年、33歳のときに、私はある男性と結婚をした。

 社会制度としての「結婚」、そして「家族」にはあまりにもいろんな苦々しい気持ちがあったにも関わらず、私はそれでもやっぱり「結婚したい」人間だった。法律婚にはこだわっていなかったものの、お互いがお互いを人生の連れ合いだと心から認め合える関係を、死ぬまでに誰かと築きたかった。

 自分の家族だと言える相手がほしい。
 私を家族だと断言してくれる人と一緒に暮らしたい。

 その欲望が、古代から脈々と続くヒト社会の見せてくる幻想にたまたま捕まった結果でしかないのだとしても、その幻想と手を切って生きるよう自分を説得するより、幻想の真っ只中で痛い目をみながら自分なりの仮説と結論を出していく方を私は選ぼうと思い、そして実行した。なぜなら単純に、そちらの方が私にとっては「大変だけどより面白そう」な道だったからである。

 実際に結婚してみてどうだったかというと、1年半ほど経った今も「結婚してみてよかった」と思っている。大変そうに見えていた結婚は、してみたら想像よりずっと楽で、そして想像よりも面白かった。


 夫は、3歳上の礼儀正しい人物である。我々は日々一緒に食事をし、時々出かけ、そして一緒にいるときにはよく話す。お互いの仕事の話、私が読んだ本や観たドラマのこと、世の中のニュースについての考察やSNSに書けない類のジョーク。私たちは敬語で会話する夫婦だが、語尾は丁寧でも内容はそこそこ過激だったりする。家事は私が雑に大まかにやり、細かいところを夫がサポートしてくれる。喧嘩はまだしたことがない。

 私は夫に対し、かなり好き勝手に振る舞っている。思い付いたことをなんでもかんでも喋るし、夫立ち入り禁止の私の部屋(ヴァージニア・ウルフの教えを私は守っている)にいきなり閉じこもることもある。かと思えば部屋を飛び出して、机に向かっている夫にかじりついたりもする。夫と暮らすようになってから、実家で飼っていた猫たちへの共感が募った。人間の都合を考えずに自分の気分だけで甘えに来る猫たちと、私は今同じようなことをしている。

 そして夫の方は、そんな私を基本的には静観していて、仕事についても家事についても、「未樹さんの好きなようにしてください」と言う。私は物書きで、自分の身辺のことも含めいろんなことを外に発信してしまう人間だが、それについても「好きなように(略)」と言われている。ありがたいことだ。
 この感謝の気持ちを表すため、なるべく夫の喜ぶことをしたいと思っているのだが、実際は夫の方が私を喜ばせてばかりいる。私が元気がなさそうだと思うと夫はすぐにおやつを買ってくるので、私はいつまで経ってもシュガーフリー生活に挑戦できない。


 しみじみ幸せだな、と思うことのひとつは、夫とは政治的なトピックについても気負わず語り合えるということである。

 家族や恋人同士であってもこういう話をカジュアルにはしづらい場合があると思うが(私はできたことがない)、夫とはそういうことがほとんどない。というか、我が家の会話の半分くらいは政治の話だ。そのことがありがたい。
 私はいわゆる「社会問題」系の話を常に追いかけているし、物書きとしてもそういった分野との付き合いが長い。そして夫は筋金入りの歴史・政治オタクで仕事でもその分野を扱っているため、呼吸するように政治の話をする。私たちにとって、社会や政治、そしてそれらの歴史について話すことは、それぞれの人生にとって大切な行為なのである。

 私たちは、おしゃれなカフェでも、寝る前の布団の中でも、延々そういった話で盛り上がれる。といってもお堅くシリアスに議論しあっているのではなく、だいたいゲラゲラ笑い合いながらそういう話をしている。歴史や政治の話を毎日するわけでない人には(だいたいの人はないだろう)異様な夫婦に見えるかもしれないが、私たちにとってはこれが面白いからいいのである。

 といっても、お互い単に「雑」に話しているわけではないとも思う。楽しく話しながらも決して踏み外さない一線もあるし、たまにはシリアスに話すこともある。
 たとえば私にとって、より自分ごとに近い、女性を巡る社会問題について話すことはいつでも緊張する行為だ。夫相手でもやっぱり「無頓着に」というわけにはいかない。表面的なことならいいが、より深刻な領域に近づくと手に汗握ってしまう。だけど、夫はそこについて私が私なりの苦労をしていることは理解しているので、ペースを合わせてくれる。

 そういう風にお互いにお互いを守りながら話せるために、私たちの間にはタブーの話題が基本的にない(と、思う)。
 もちろんお互い「死ぬまで誰にも言わない」何かは持っているのだろうし、人間の内実自体はどう頑張ったところで他人には伝えられないものだ。しかし、「たとえそうしたいと望んだとしても、本当にわかりあうことはない」ということ自体が私たちの共通認識なのである。

 私が夫と結婚しようと思ったのは、「言わないと何も伝わらないし、言って伝わることも限定的である」ということを前提に一緒に生きていける人だと思えたからだ。夫も私に対して同じことを言う。

 私たちは「愛している」という言葉も口に出す。言わなくても伝わる、という状態が好きな人もいるかもしれないが、私たちは言って伝える方を採用している。


 寝る前に夫とひとしきり盛り上がったあとなどに、今でも時々ひとりで驚く。こんな風に話せる人と結婚できたなんて! と思う。

 これは、予想していたことではまったくなかった。
 こんなふうに無防備に、何も意に沿わない犠牲を払うことなく、安心していられる結婚ができるとは思っていなかった。

 もちろん細かな調整が必要な場面はたくさんある。完全無欠の関係性なんてない。私も夫も、そもそもかなりの凸凹人間である。でも、大事なポイントを抑えることができている、という感覚がある。

 実を言うと私はかつて、「結婚を望むからには、『自分をまるごと全部受け止めてもらう』なんてことは諦めないといけないだろう」と、ずっと心の片隅で覚悟していたのだ。


2 主張


 私は”口うるさい”女だ。自分自身でそう思うというだけで、これは誇りでも卑下でもない。

 現実的に、私は口頭でも文章でもよくまくしたてる(この文章だって字数が多い)。もう少し抽象的な意味でも、社会に対して口うるさい。貧困について、ジェンダーをはじめとしたいろんなソーシャルアイデンティティをめぐる問題について、虐待や暴力の問題について、ねちねちと考えては落ち込み、なんらかの形でものを書こうとしがちな人間である。

 そういう自分のことを自分では気に入っているし、ちっとも悪いことだと思っていないのだが(もっと質の高い口うるささを目指したいという気持ちはある)、当然誰もが気に入ってくれるわけではない。

 実際、夫の前に二年半ほど付き合っていた男性からは、私の仕事中心の生き方や政治的スタンスをパートナーとしては受け入れられない、という理由でふられた。私はスタンスが違っても話し合っていけばいいやと思っていたのだが、そういう考え方自体がつらいと言われてはどうしようもない。
 交際には至らなかった範囲でも、私の働き方や社会への考え方、特にある種の“口うるささ”に抵抗感を示す人はまあまあいた。私は男性が性愛対象なのでどうしても男性への印象ということになるけれど、「そういう要素がある時点でちょっと……」という雰囲気を感じたことは数限りなくある。「男が嫌いなんだろう」と決め付けられたこともある。
 逆に、私のそういった部分に対して過度な同調をしてくる男性もいたが、それも苦手だった。彼らは彼らで攻撃的で、自分と違う意見への耐久力が弱く、内省的に自分をとらえるのがだいぶ苦手なように見えることが多かった。

 そんな経験を経ながら、しかも仕事中心の生活というものをしていると、どうしても私の方からも男性を気に入る機会は少なくなってしまう。

 私の困ったところは、こんな条件が揃っていてなお「好きな人と愛し合い、結婚して家族を増やしたい」という超オールドタイプの欲望を持っていたことだ。
 家父長制に文句があるなら婚姻などするべきではない、というようなラディカルな思想もあると思うしそれはそれで尊重するが、私はその辺かなりなあなあなタイプなのだ。家父長制にはいろいろ思うところがあるが男性にときめくし、自分で産むことにはこだわっていないが子どもが好きだから機会があれば育てたいし、選択的夫婦別姓支持者かつ戸籍廃止論者だがそれはそれとして自分の苗字は変えたかったし、女性が家事を押し付けられることには大反対だが私自身は家事が好きだから普通にやりたいのである。

 こういう「主張としてはこうだが私個人はこう、しかしそれは主張をふみにじられてもいいということではない」みたいな姿勢を、恋愛や婚活の中に落とし込むのは難しかった。自分でもややこしく感じるのだから、結婚相手にそこの全面肯定や理解を求めるのも違うよな、と思っていた。

 妥協に満ちた、結婚のためだけの結婚をする気はない。それではあまりに不幸だ。でもどこかでは「諦める」タイミングがくるかもしれない、となんとなく考えていた。元恋人との暮らしも、向こうが無理だと言ってきたから終わったが、それがなければ続けられただろう。別になんでもかんでも認めてもらえなくても、家庭とそれ以外の領域を分けて生きていけばいいじゃないか。家庭にとって大切なのは、シンプルにお互いの幸せを考えて協力していけるかどうかなんだから……。


 ところがそんな風に思っていた矢先、私は突然、すべての要求を満たす男性と出会うのである。


 私と彼は数回のデートで交際と婚約を同時に決め、そこから5ヶ月後には結婚していた。これまでの悶々はなんだったんだ、というくらいのスピード結婚だった。あまりのスムーズさとストレスのなさに、かえって不安になることがあったくらいだ。

 しかも、そう思っているのは私だけではなかった。彼の方も「こんなに楽でいいのかと不安になる」とそわそわしているではないか。

 私は忘れていたのだ。私もまた、誰かにとっての「ちょっとややこしい要求を満たす人間」になり得るということを。

 彼は、私とまったく違う形で社会や政治に対して“うるさい”人間だった。そしてそのことを隠していた結果、婚活市場で何の成果もあげられずにいたのである。


3 本性


 我々の、結婚までの過程を少しだけ紹介する。ポイントは「好きなものを隠すと、人によっては戦闘力ゼロになる」「ask.fmがつなぐ縁もある」である(たぶん)。以下、結婚前のことを語る上ではややこしいので、夫のことをX氏と記す。

 X氏と出会ったきっかけは、平凡だが友人の紹介だった。

 2020年の元旦に、私はFacebookにこのような投稿をした。妹と映画を見るため、映画館のロビーに並んでいた最中のことだ。

「今年こそは婚活をします。周りに、私に紹介しても良いと思う男性がいる方は連絡をください。タバコを吸わなくて、極端に年齢が離れていない人であれば会います」

 すると、その日のうちに連絡があった。5〜6年前からの友人で、日常的に遊ぶ仲ではないが、お互いの書き仕事などはなんとなく把握しているAさんだった。

「8年くらい前からの知り合いで、婚活している独身男性がいるので紹介したいです。歴史オタクですが、婚活の場ではオタクっぽいところを出せていないようです。近く二人で飲む予定があるので一緒に来ませんか?」

 Aさんはとても賢く筋の通った女性で、年下だが大変尊敬している相手である。そんなAさんの長年の友達ならきっといい人だ。オタクなのも話がしやすそうで嬉しい。私は即OKし、しかし過剰な期待はせず、普段着で渋谷の居酒屋に向かった。

 スーツを着なれた一般の方、というのが第一印象だった。私が好きなタイプのスリーピースを着ていることには好感を持ったが、この時点ではまだ好きも嫌いもない。居酒屋ではもっぱらAさんと私が盛り上がり、X氏はわりと大人しくしていた。

 そのあと、2〜3週間ずつあけて数回お茶やランチをした。場所の候補のあげ方が私の方の乗り換えを考慮した行き届いたもので、「これは婚活している男性だ」と感心した。

 何回か会ってみて、好感度は普通に上がった。大抵の男性は私が少し話を聞く体勢を見せるとひたすら喋りっぱなしになってしまうのだが、X氏はそれに屈さず私の話も聞いてくれるのである。控えめに話してくれる歴史の蘊蓄も面白い。向こうも私に対して好感は持ってくれているようだ(「とても素敵な人だってX氏が言ってました!」とAさんからタレコミが入った)。状況としては悪くない。
 ただ、まだ「よーし付き合おう!」という感じでもなかった。それよりも、何でこの人が婚活でそこまで苦労するんだろう? というのが気になった。

 X氏は私と出会った時点で、結婚相談所に入ってそこそこ長く婚活をしていた。かなり努力しているようだったが、うまくいかないらしい。

 不思議だった。彼は温厚で、これ以上ないといっていいくらい安定した職業についており、借金もなければギャンブルもタバコも過度な飲酒もしないのである。顔だって別に見苦しくないし背も高い。私はこれらの条件をそのまま良い男の条件だとは思わないが、婚活市場においては「条件検索にひっかかりやすい」スペックのはずなのだ。相談所のような場所では特に強そうではないか。前年に、当時バズっていた「結婚物語」のブログをみっちり読み込んでいた私は怪しんだ。もしかして彼には、「どんなに条件が良くてもこんな面があるんじゃとても結婚できない」と言われるような恐ろしい一面があるのではないか?

 そう訝しんでいたさなか、私は思わぬ形でX氏の“本性”を知ることになる。なんと、我々が会っていることなど何も知らない第三者から、偶然X氏のTwitterアカウントを知らされてしまったのだ。

 Aさんと私の共通の友人で、Bさんという女性がいる。私はBさんとの付き合いの方が長い。Aさんと知り合ったのも、もともとはBさんの紹介だった。

 彼女はよく、面白かったツイートや記事をLINEで私に送ってくれるのだが、ある時「この人のツイートは勉強になるんですよ」と送ってきたアカウントアイコンを見てちょっとひっかかった。このモチーフとこの構図、AさんとX氏の会話に出てきたような気がする……。

 つまり「あくびしているカピパラのアイコン(仮)」という話がAさんたちとの飲みの席で出ていて、Bさんから送り付けられたツイートのアイコンがまさに、あくびしているカピパラの写真だったというわけである。ツイートしている内容的にも、X氏のアカウントであることは間違いなかった(ちなみにX氏の方は初対面の前から私のTwitterアカウントを見ていたし、ネットつながりを起点とした紹介だったのだから、訊けばアカウントくらい教えてくれたかもしれない。が、私の方では遠慮して訊けていなかった)。

 Bさんは私たちがすでに接触していたことに驚くと同時に、「宗岡さんとX氏は趣味が合いそうですね!」と言った。Aさんだけでなく、Bさんから見てもお似合いな面があるということで、これは世間の声として参考にすべきである。

 私はそのままX氏のツイートを読み、Twilogからたどってブログやなんかも次々読み漁った。そしてびっくりした。私との、それまでの三回のデートではまだ露呈しきっていなかった激しい一面が剥き出しになっていたからである。
 彼の穏やかな物腰の裏にあるのは、学問に対するとてつもない追求心と、それに比例するかのような強烈な皮肉の精神だった。一目瞭然のその知識欲も毒も、私にはすべてが興味深かった。いくつかの長文からは彼のインプット量の凄まじさが感じられて、尊敬の念が自然に沸いた。彼が歴史や政治を好きなのは単にお勉強が好きだからではなく、どこまでも”人間の人間らしさ”に興味があるからなのだということもひしひしと伝わってきた。

 特に私がなめるように読んだのが、ask.fmというQ&Aサービスの跡地である(若い人は知らないかもしれないが、今でいう「質問箱」みたいなものだ)。そこには、5〜6年前の彼の考えがみっちりと詰まっていた。歴史について、学問について、そして少しアニメについて、彼はたくさんの質問を受け、せっせと回答していた。300回答ほどはあっただろうか。

 それを読んで、大笑いしたり感心したりを繰り返す中ではっきりと理解できた。歴史について学ぶことは彼にとって、人生と渾然一体となった魂そのものなのだ。なのに彼は、婚活でよりによってそこを隠そうとしていたのだ!

 「女性の前でだけ、魚にそれほどの興味がないふりをしているおり目正しいさかなクン」を想像してみてほしい。そんな自分を偽った宮澤さんに、誰かが心底惚れ込むことがあり得るだろうか。たぶんないし、あったらむしろその後がお互い大変である。

「X氏ってすごく面白い人なんですけど、どうも婚活の場ではすげーつまんない男だとしか思われていないみたいなんですよね」

 Aさんがそう言っていた訳もようやく理解できた。もちろん趣味の楽しみ方はいろいろである。家族にも完全に内緒で、こっそり堪能する趣味だって素敵だ。でも人生丸ごとそれに没頭している人が、そこを隠蔽して婚活するのはさすがに無茶である。そんなの、両手両足を縛り、目隠しをして格闘技戦に挑むようなものだ。つまらない男だと思われて当然である。

 彼の魅力は、素晴らしいところは、間違いなくこのテーマに取り組む中で培われ、表現されているものだ。たしかに一般向きじゃないかもしれない。でも私は断然好きだ。私にとっての書き物がそうであるように、彼にとっての学問も、見えない尻尾のようなものなのだ。体から切り離せないし、踏まれたら痛い。感情とダイレクトにつながってもいる。

 彼のask.fmの回答を三巡ほど読んだ私は、もうすっかり彼に対して心を許していた。“女性ウケ”のことなど何も考えていないらしい回答群をくまなく読んだことで、彼が私の一番苦手な類の攻撃性を持っていないこともほぼ確実だと思えた。まだ「結婚しよう」まではいかないが、「この人となら結婚できるかもしれない」くらいはすでに思っていた。

 それからまもなくあった4回目のデートは、池袋ジュンク堂をひたすら歩き回るという内容だった。そこで私は「X氏のTwitterも、ブログもask.fmも全部見てしまいました」と告げた。X氏はもちろん動揺していたが、私が内容を気に入ったということを伝えると、一応安心してくれたようだった。ただ、ask.fmを三巡読んだ、と言ったら「そんなに読むほどのことは書いていないと思うんですが……」と困惑していた(まあ私も言われた立場だったら相手を異常者だと思うだろう)。

 そこからは彼も一気にふっきれたのか、店内の書籍を取り上げては忌憚のないコメントをしてくれるようになった。そして四階の人文書フロアを一通り回り終える頃には、私は「この人となら結婚できるな」と判断していた。政治、歴史、宗教などなどのコーナーを巡る中で、この人とならどんな話題についても話し合っていけるだろうと思えたのである。私が“口うるさく”なる分野についても。
 好きだとか嫌いだとかの前に、生活をともにするならこの感じで会話ができる人がいい、楽しいし勉強になって嬉しいな、という感覚の方が先にきた。同時に、彼の複雑な情熱や、それを軸にしたキャリアプランについても私なら問題なく受け入れられると思った。

 まだ彼の気持ちも何も知らない、聞いていない段階なのに、図々しくも私はすでに内心で彼にこう語りかけていた。
 私にしときましょう。政治家の書いた新書について意気揚々と解説する姿に、こんなにわくわくするのは私くらいだと思いますよ。


4 戦争


 そこからまもなく新型コロナウイルスの脅威が日本を覆い、三月には緊急事態宣言が発令される。X氏と会うのも難しくなったが、四月には河原でのピクニックという形で会い、そのときに「付き合おう、というかとっとと結婚しよう」という話になった。三十代同士の恋愛は話が早い。

「未樹さんの自分の考えを持っているところや、それをはっきり言ってくれるところに惹かれている。未樹さんとなら、家族として何があってもちゃんと話し合っていけると思う。頼ってもらいたいし、助け合いたい」

 そんなようなことを言われた瞬間、感動のあまり河原で「ウワー! 嬉しい!」と叫んだ。言われてみて初めて気づいた。これこそ、いつか誰かに言われたかった言葉だった。
 今日言われなかったら自分からプロポーズしようと思っていた、と言ったら、「待ってくれてありがとうございます」と返ってきた。それを聞いて、また肩の荷が降りた気がした。私がやらないと誰もやってくれない、私がやらなきゃ、と思ってばかりいたけれど、これからは私ばっかりやらなくたっていいのだ。


 そこからはまさにとんとん拍子だった。私たちは婚約した数時間後には、お互いの年収から今後の働き方の見込み、親族の構成と状況、親の病気・死亡に関して考えられること、居住地や家計管理に望むことなどなど、とにかく結婚にあたってお互いに知らせておいた方がよさそうなことはほぼすべて開示し合ってしまった。結婚までの予定もおおまかには立てた。
 ムードもへったくれもないと思われるかもしれないが、こういったことを変な駆け引きも躊躇いもなく話し合えるということ自体が、私たちが結婚相手に求めていた安心感そのものだった。

 コロナの影響で会う頻度は1〜2週に1度に抑えざるを得ず、結婚に向けての準備はゆっくりとしか進められなかったが、それでも私たちは九月には引っ越しと役所の手続き、それに挙式の三つをすべて終わらせた。お互い仕事もあったから大変ではあったが、よく聞く結婚式をめぐる喧嘩などもなく、工程としてはいたってスムーズだったと思う。


 結婚するまでの間について一番よく覚えているのは、挙式前日の、教会近くのホテルに泊まった夜のことだ。

 我々はカトリックの正式な挙式をすることになっていたので(証人はAさんとBさんにお願いした)、教会に指定された誓約文を暗記する必要があった。ホテルのベッドにそれぞれひっくり返りながら、私たちはぶつぶつ文言を読み上げていた。
 私はそれがなんだか面白くなり、途中でX氏に対し国会風のヤジを飛ばし始めた。

X「私たちは、ただいまより夫婦として……」
私「ふざけるなァ——!」
X「順境にあっても逆境にあっても……」
私「もっと具体的に言え——っ!」

 私たちは盛り上がり、それぞれにヤジを飛ばしながら誓約文を読み合った(※X氏は実際にはもっとリアルな、精度の高いヤジを飛ばしていた)。

「健康のときも病気のときも……」
「だからなんだってんだ——!」
「富めるときも貧しいときも……」
「やめちまえ——!」
「生涯互いに愛と忠実を尽くすことを誓います……」
「そうだァッ!」

 敬虔なカトリック信者の方には申し訳ないが、これが私たちらしい光景であることは間違いなかった。この人となら面白くやっていける。ひとつの巣の中で、つがいになって生活することができる。お互いの尻尾を無遠慮に踏まないようにしながら。

 もちろん、もしかしたらこの先に何か不幸なことはあるかもしれない。うちの両親のようにどちらかが早死にするかもしれないし、大きな病気や失業だってあるかもしれない。何か予想だにしないことが起きて、憎しみあってしまう可能性だってゼロじゃない。そうしたら国会ヤジごっこで盛り上がった夜のこともはかなく霞んでしまうのかもしれない。

 それでも、どんな可能性を考慮しても、我々が今この瞬間、二人で生きていこうとするのは良いことだと素直に信じられた。結婚して一年半ほど経った今も、その感覚は変わっていない。


 結婚してしばらく経ったあとに、勤め先の上司のひとりに結婚報告をする機会があった。
 上司はたいそう喜んでくれて、私に「あえてとても安易な質問をしますけど、何が結婚の決め手だったんですか?」と聞いてきた。長々説明するのも恥ずかしいと思い、私はもそもそと手短に答えた。

「まあ、政治と宗教についてストレスなく話せたことですかね……」

 すると上司は言った。

「宗岡さん! それはすごいことですよ。その二つがなんとかなるなら、大抵の戦争は起きないんですから!」

 たしかにそうだなあ、と思った。

 戦争が起きないといい。
 お互いになるべく繁栄できるといい。
 そのための外交努力はしよう。実際の戦争の歴史から私たちが学べることは、夫がいくらでも教えてくれるだろう。


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5 平和


 ありがたいことに、いまのところ毎日平和である。よく人に私は「ムーミン谷の暮らしみたいに平和だ」と言う。

 私は死別などのイベントの多い家庭で育ったので、何事もない日が続くとつい「そろそろ死人が出るのではないか?」などと想像してしまうのだが(脳内が北方水滸伝みたいな世界観なのだ)、とりあえずまだどちらも生きている。そして生きていればなんとかなる。
 夫はこの三連休実家に帰っているので、家にはいない。夫がいると恥ずかしいからいない隙に書こう、と思ってこれを書いた。

 それにしても、私たちがいいタイミングで出会えたのは、それぞれ恋愛・婚活市場においては自分を隠したりちょっと劣勢を感じたりしていたものの、友達付き合いやインターネットの中ではある程度自己開示していたおかげなんだなあ、と書いてみて改めて思った。
 それがなければ誰も私たちの本性を理解することはなく、Aさんは私たちを引き合わせようとは思わなかっただろうし、Bさんも「私が面白がりそうな情報」として夫のツイートを送ってきたりしなかっただろう。友達とインターネットに感謝である。

 結婚してから周りの女性に「私も結婚したい、どうしたら結婚できる?」と聞かれる回数が爆増したが、私はその度に「とりあえず周りの人間全員に婚活宣言をしろ」と言っている。何年も付き合いのあったAさんだって、私が「今この瞬間、本気で結婚したいと思っている」なんてことは気づきようがなかったのである。「結婚物語」にも「結婚相談所もアプリも使わないなら一番いいのは友達の紹介」と書いてあった。言わないと伝わらないし、聞かないとわからないこともある。


 とりあえず、私は今しがた夫に夕飯のリクエストを聞いた。夕方までに回答をくれるそうだ。それまではごろごろして過ごそうと思う。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。