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自分へのクソリプをやめることから

誹謗中傷以前に、現代社会には「クソリプ」が多すぎる、と常々思っている。

クソリプを正確に定義するのも難しいが、私が思うクソリプとは「相手の背負っている文脈やそれを口にした意図、言葉の組み合わせが示すストーリーを考慮せず、自分が反応しやすい断片のみを認識して、自分の瞬間的な満足のためだけに投げかける言葉」全般のことである。

だからこれはたとえば「私はりんごが好きです」と言ったのに対して「じゃあぶどうはりんごに比べて劣ってるって言うのか!?差別だ!」と返すような極端な(そしてSNSで一番よく見る)レベルのものから、「駅前に新しくできたパン屋のパン、おいしかった」に対して「パンが健康に悪いの知らないの?」と返すような「なんだかなあ……」レベルのものまでさまざまある。

こういうやりとりはおもにSNSで存在感を発揮しているけれど、もちろんオフラインでもいくらでも遭遇する。誰でも、人と関わりながら生きていればいろんなコミュニケーション上の「あれ?」を感じるはずだ。

クソリプは、当たり前だがくらうと嫌な気持ちになる。そこまでいかなくても、なんとなくもやっとすることがほとんどだ。またクソリプを発する側を見ても、瞬間的には満足していたとしても、長期的にはじわじわと窮地に近づいていくことが多い気がしている。

というのもクソリプする人はそもそも、自己や状況の把握が得意でないからクソリプをするのだ(それが意図的だろうが意図的でなかろうが)。その反射神経で生きている以上、コミュニケーション以外の場においても、自分のためになる言動を選べていないことがしょっちゅうあるのだと思う。そう考えると、クソリプを生み出してしまう思考体系や神経コンディションとは恐ろしいものである。

と、ここまで「クソリプする人」をあたかも自分以外の人間であるかのように語ってきたけれども、そういう風に考えるのも危険だ。実は、自分自身も大量にクソリプを製造していることがある。

いや自分はそんなことしてないよ、と思う人もちょっくら考えてみてほしい。他人の話にはまともな返しができるよう気をつけていたとしても、"自分自身に向けて”クソリプ的な言葉を使っていたりはしないだろうか。疲れていたり傷ついていたりする自分に「甘えてる」「よくあること」「実力が足りない」「なんか勘違いしてるんじゃない?」などのクソリプを投げかけて黙らせていないだろうか。

かくいう私は、自分に対してクソリプマンになっていることがしばしばある。そのことを、妊娠期間が進行するにつれてひしと感じた。誰も何も言っていないのに、勝手に一人で自分に「怠けちゃいかん」と声をかけてしまうのである。正直今も完全脱却はできていない。一緒に暮らす夫からクソリプをぶつけられたことは一度もないのに。

なんでそんな無益なことをしてしまうのだろう?

それは長年かけてクソリプを外部から収集し、気づかないうちに血肉にしているからだ。つまり、生きていて無限に遭遇するしょうもないクソリプを、自分の思考の中に組み入れてしまっているのである。

たとえば「30歳なんだから結婚くらいしないと」と言われ続けているうちに「たしかに、30歳なら結婚するべきなのかもしれない」と考えるようになり、自分が30代でまだ未婚であることを過度に気にしたり、30代なのにのほほんとしている周囲の独身連中にイライラし始めたりしてしまう……こういうことは珍しくない。こうやって外部の声を取り込んでいく過程を、一言で「内面化」と言ったりする。

クソは栄養を吸収したあとの残りかすであって栄養ではない。それをまた自分の中に取り込むのはあまりよろしくないことだ。

だから、他人のクソリプを自分の中に受け入れないようにするとともに、自分が自分にぶつけるクソリプをミュート&ブロックしていくことも大切である。ミュートしつつ、「なぜ私はこのタイミングで、このテーマに関してこういうクソリプをしてしまうのだろうか?」と考えたい。そこには何かルーツがあるのだ。何か過去の失敗からそう思い込んでいるとか、親やいじめっこに言われたとか。その結果、脊髄反射でその言葉を使うようになっているのである。

ツイッターのクソリプ用アカウントを見て、「この人はいろんな人を厳しく育てようとしていて偉いなあ」などと思う人はいないだろう。自分を鼓舞し伸ばすための言葉と、「深く考えずに投げかけるいちゃもん」を混ぜるのは危険だ。

その見極めのためにも、なるべく日々おいしくて栄養のあるものを取り込みたいものだ。そしてクソリプではなく、糧となるリプを自分に投げかけたいと思う。

それができれば、誰でも今よりもっと元気になれる気がする。他人にクソリプする割合も減る気がする。

世界平和に少し、近づく気がする。

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