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縁の切りすぎに注意

とある神社に、「良縁」を願いに行った。

身近なところに、目下「悪縁」に囲まれて困っている人がいる。その人に以前「悪縁を絶って良縁を呼ぶ神社を知っているから、今度お参りしてきてあげようか」と話したところ、「ぜひ」と真剣に言われてしまったのだ。これは行かざるを得ない。

幸い、今の私はただの無職だ。出産に向けて、毎日なるべくたくさん歩いた方がいい身の上でもある。散歩がてら行ってこようということで、電車に長いこと乗ってその神社に参ってきた。

せっかくお参りするのだから自分の悪縁断ちと良縁も願うか、と考えた。しかしその瞬間、「私に、いままで悪縁というものがあっただろうか」という疑問が湧いた。

もちろんこれまでの人生、嫌いな奴も憎い奴もいくらでもいた。我慢できない環境もあったし、「借金」氏にはかなり長いこと追い回された。爪を噛む癖と、髪の毛を抜く癖は大人になってもなかなか治らなかった。こういったものが、私にとっての「悪縁」だったと思う。

でも振り返ると、結局だいたいのものとは然るべきタイミングで手を切ってこれた気がする。私が幸運だったのか、嫌なものと距離をとるためなら手段を選ばないタイプだからなのか、「縁を切りたいのにどうしても切れない」という状況に至ったことはない。今断ち切りたい悪縁といえば、指にできてしまった固いイボと肩こり、腰痛、ホルモンによるトラブルとの縁くらいかもしれない。老人か。

では良縁の方はどうだろう、と考える。

夫とはすこぶる相性がいい。穏やかで素敵な人たちと交流できてもいる。そういう意味では、良縁にもすでに恵まれているのだろう。が、こちらはナンボあってもいい。特に仕事の縁は、これから百万倍にでも増えてほしい。いっちょ頼みます。

だけど、そうやってお参りしようとして、また気づいてしまった。

私はむしろ、良縁までもこれまでの人生で断ち切りまくってきた人間ではないか。

さっきも書いたように、私は嫌いなものから離れるべきだと思った時には手段を選ばない。会社を辞めたいと思ったら、多少の金銭的困窮など気にせずとっとと辞める。人付き合いも、本当に嫌なことをされたら容赦なくすべてのつながりを絶つ。SNSでは、ブックマークと同じくらいカジュアルにブロックを使用する。

とはいえこれは、自分にとって嫌なものと断固距離をとるというだけの話なのでまだいい。問題は、自分としては距離を置いたつもりはないのに、「事実上縁を絶ってしまう」みたいなことが(おそらく)多いことだ。実際、人から「みきさんから急に距離を置かれた気がして……」と言われたことは何度かある。

そうなってしまうのには一応自分なりの理由があり、「そういうつもりではない」というケースが多い。だけどこういうことは受け手の感じ方が結論であって、「誤解です」という主張は無意味だ。

多分悪意なく自覚もなく、大量の縁を私は切ってきているのだろう。それでもたまたま運良く良縁が残っているが、悪縁と一緒に良縁も大量に切り捨てている疑惑は濃厚だ。もしかしたら縁の神様(という認識でいいのかよくわかっていない)も、「配給を自分から捨てておいて……」と私を見て苦い顔をしているかもしれない。

つまり私が願うべき内容はこうなのだ。

お世話になっております。
かねてより悪縁断ちと良縁のご提供をいただいておりますこと、心より御礼申し上げます。
さてこの度は、ご提供頂きました良縁の消失割合が目標数値を超える結果となり大変申し訳ございませんでした。全ては私の管理不行き届きが原因であり、重く受け止めております。
今後はご提供いただいた良縁を最大限活用できるよう、数値改善に取り組んでまいります。
良縁を追加で発注させていただきましたので、こちらの方も何卒よろしくお願いいたします。


さて、結果はどうなるか。

まったくわからないが、ひとまず私は今ある縁を大事にしよう。

悪縁に困っている人には、絵馬についてきた小さなお守りをあげた。あちらはバッサリいくといい。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。