見出し画像

【感想】狂言「呂蓮」と能「井筒」

先日、大阪にある大槻能楽堂で狂言「呂蓮」と能「井筒」を鑑賞した。

井筒は世阿弥の不朽の名作。人間国宝の友枝昭世さんがシテ(主役)を舞われるだけでなく、井筒が関西では殆ど公演がなく超貴重という事で大東 豊美さんにご縁を頂き、観に行った。(豊美さんは現在「能楽」に関する書籍を執筆中)

狂言はリラックスして楽しめる。わかりやすくて愉快。「呂蓮」の意味がわかる。

では、能はというと、言葉もわかりにくく、セリフが書かれてるものを読んで予習したが、難しい。

以下、井筒あらすじ

昔、井筒の傍らで遊び、水面に互いの姿を映して心を通わせた幼い恋は大人になって成就して、二人は夫婦になった。(在原業平と紀有常の娘)やがて男には山一つ向こうに通うところができ、女は夫の姿を黙って見送った。中秋の在原寺に現れた女が、月光の下で語る恋の記憶。「井筒の女」、またの名を「人待つ女」と呼ばれた女の魂は、恋の絶頂を実感できた井筒の傍に、いつまでも漂い続ける。

以上

私自身、能楽は数回観たことがあるだけで、全く理解はしてないが、とにかく心地よい。大鼓、小鼓、笛が揃うと途端に眠くなる。井筒は僧が見た夢の中の話。私も僧と同じ気持ちで「井筒の女」を眺める。

今回とてもいい席で、正面からシテの表情を見られた。とはいえ、能面(おもて)を顔にしているので、表情なんてあってないようなものだ。

が、見えてしまった。
在原業平の形見を身につけた女の顔を。私には、それはそれは嬉しそうに見えた。

という事で、能って本当に凄い。表情なんてないのに見えてしまうのだから。まだまだ知らないことばかりだけど、なぜか惹きつけられるのだ。

そして、一晩たってこう思う。

能は、長く生きて(私は50代)、いろんな経験をしたからこそ、わかるのだと。観客は私より上の世代が多い。つまり、若くては経験値が足りないのだ。

おもての奥にある表情が自分の経験と重なって初めて魂に響くのだとわかる。

いいなと思ったら応援しよう!