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母の1日に起きる小さな事件簿

ちょっとした理由があって、去年東京のマンションを引き払い、15年ぶりくらいに母と暮らしている。

それまでも月に1−2度は実家に帰っていたが、朝から晩まで一緒にいるという経験は久しぶりである。そして当然ながら15年前に比べれば、母もずいぶん老いた。

腰が悪いから遠出はもう無理となった母の行動エリアは、ほぼ家の半径1km以内にとどまっている。もともと友達がいない彼女の毎日は、傍から見れば凪のように変化のないものに見えた。しかし、そんな母にも、日々いろんな事件が起きていたのだ。

たとえば、駅前のスーパーで今日は卵が1パック100円であること。あるいは、最寄りのドラッグストアのポイントが今日は5倍であること。または、近くのモールで野菜の苗が安い。

それらは毎朝の読売新聞の折込チラシから彼女にもたらされる。その内容によって、母の1日のスケジュールはだいたい決まる。毎日毎日、彼女も飽きもせず、少しでも安い食材やらを求めてショッピングカートをガラガラいわせながら買い物に行く。

朝はだいたい、母のこんな一言から始まる。「見て、今日はタイガでいちごが390円!」。

たまに2駅先ぐらいのスーパーでみかんが安いからとお使いを頼まれることもある。最初は「たかが数十円のために遠くまで買い物に行って時間を無駄にしたくない」と抵抗したが(私はリモートワーク中なのだ)、最近は親孝行だと思って素直に従うようになった。私にはどうでもいいことでも、母にとっては大事件なのだから。

もう立派な中年とはいえ、私にはまだスーパーの特売以外の事件がそれなりにある。旅行に行ったり、奥多摩でハイキングをしたり、友達とご飯を食べたり、映画を観たりといったことだ。

母はそんな娘の活動を、あたかもマルコ・ポーロの冒険譚に興奮した中世ヨーロッパの人々のようにやたらと知りたがる。単に新宿あたりをぶらついて帰って来た日でも「新宿はどうだった? 人手は多かった? 何を食べたの?」とシェアをねだる。新宿なんて母も昔はさんざん歩いた街なのだが、今どうなっているのかを確認することはもう出来ないのだ。

そんな母を見ていると、時々しんみりとしてしまう。このしんみり、という感情は何だろう? と思うけれどうまく言語化できない。母の老いを実感してしまうからだろうか。そのささやかすぎる生き方がいじらしいのだろうか。自分はあまりにもいろんなことをやりがたりすぎてはいまいか、という小さな戒めだろうか。

今の暮らしは一時的なものなので、私はまた、そのうち母の家を出ていくだろう。彼女の一日の事件簿に加わった「私の行動観察」というアトラクションもなくなり、少しだけ、母の日常はつまらなくなるかもしれない。それもまた、私をしんみりさせるのだ。

#日記 #母




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