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トミコの赤い部屋 ②

髪の生え際が白く染まりはじめた頃、トミコは花の匂いのする男と出会った。男はトミコの写真集を携えて見世物小屋にやってきた。

「ワタシはこの写真集に出会い、これまで自分のやってきたことが間違いであったと気付きました」

 男はトミコにむかって、おもむろに話しはじめた。打ち明け話をしてくる客は、これまでも少なからずいたため、トミコは彼の話に耳を傾けた。

 通常、こうした客の打ち明け話は、トミコの片耳からもう片方の耳に通過するだけで、一言も彼女のカラダに残ることはなかったが、今回は違った。

男は華道家だった。これまで多くの花を数々の名器にいけてきたけれど、花はやはりタコのそばでいきてこそ華やぎ、同時に供花(くげ)となるのだと男はいった。

トミコはずっとタコの立場で幸せを求めていただけなので、花の側に立ち、世の中を見る男の話は新鮮だった。乾いた土に浸み込む雨のようにずるずると豪快に彼の話を吸い込み、受け入れた。

その夜、トミコは見世物小屋を去った。

すでにトミコのカラダの一部となり同化していた義肢は、いまさら外すこともできず、トミコは正真正銘のタコ女となり、華道家の道を捨てた男が用意した花園に向かった。

そこは世界中の名だたる花園を知るトミコが、感嘆のため息をもらすほどの花園だった。植物たちは互いの領域をおかすことなく共存し、それぞれの色味を調整しているかのような絶妙なバランスで色づき、手足を伸ばし、芳香を放つ。

しかしながら花園から一歩外へと踏み出してみたならば、打って変わって荒涼とした荒れ野が広がっていて、それがまた花園の美しさをより引き立てているのだった。

どうすればこんな荒れ地にこれほどの花園を作り出すことができるのだろうか?やはり道は違えど、花に関わる仕事をしていたせいだろうか?とトミコは考え、トミコは問う。

「ゴンゾウさん、わたしはいまだかつて、これほどの花園を見たことがありません。あなたはどうやってこんな荒地に花園をつくることができたのですか?」

 するとゴンゾウはガラスの瓶から一粒の赤い種を取り出した。

「ある種売りから、この赤い種を買ったのがはじまりです。この種はどんな荒地でも育つ花の種だそうです。蒔いてみれば本当に荒地に花が咲きました。わたしはその種売りからたくさんの種を買って蒔きました。そしてこの花園ができました。ただここに育つ花たちは次の世代に種を残すことができません。ですから、わたしは毎年、種売りから種を買っているのです」

 トミコは七本のアシの先を重ね合わせたところに、その赤い種をのせ、八本目のアシでそっと蓋をした。暗闇の中でその種はかすかに呼息して、花園の繁栄を予感した。


 二人は花園の中に小さな小屋を建て暮らした。その小屋は中も外も真っ白なペンキで塗装されていたため、花園という絵の中の、描き忘れた空白の聖域のようだった。二人は、白の小屋を拠点として、花園を守り、花園に守られて暮らした。

花園の世話をするゴンゾウは、園の中で気ままに歌い、踊りくねるトミコを眺められることに喜びを感じた。

一方トミコは、花園のタコとして生きる幸せを思う存分味わっていて、つまりトミコは、ゴンゾウと暮らしながらも、彼になにか特別な感情をもつこともなく、幼い頃のトミコのままで、タコとなった自分と花園しか見えてはいなかった。

 それでよかった。

ゴンゾウはそれでよかった。トミコが幸せであるならば。

彼は毎年、種売りから赤い種を買い、花をいけるように、園(その)に蒔いた。園(その)は一年中、絶えることなく花をまとい、その美しさは永遠に続くかのようだった。

 なのに。

 ゴンゾウが死んだ。

彼の後を追うように、園の花々が盛大に開花し匂い立ち、供花(くげ)となって散っていった。

 トミコは小屋の窓から変わりゆく園を眺めながら、薄れゆく幸をアシに絡ませた。

 やがて種売りがやってきた。

「そろそろ新しい種を買いませんか?」

 トミコは八本のアシで種売りを花園の外に押しやって言い放つ。

「もう種は買いません」

 白い小屋に戻ったトミコは、アシに絡みつけていた幸の残滓を投げ捨てると、戸棚からゴンゾウが赤い種を保管していたガラスの瓶と、白いペンキの入った缶を取り出した。

瓶にはまだ数粒の種が残っていた。トミコはその種をアシで砕いた。そしてそれを白いペンキの中に入れ、ぬめぬめと混ぜ合わせた。

白いペンキは渦を巻きつつ、こってりとした赤へと変わっていった。

トミコは表へ出ると、小屋をペンキで塗りはじめた。あまりに激しく塗ったため、ペンキはトミコも赤く染め、ゆでたタコのようなトミコの姿が、枯れた花園を彩った。トミコは小屋の内部も赤く塗った。

 その夜、赤い部屋のトミコはベッドに腰かけて、赤い壁をしばらく眺めた。それからおもむろに口から墨を吐き出すと、アシ先を黒く染め、壁になにかを描きはじめた。描いた点は線から面となり立体を経て多層的に広がった。

ほどなく壁は花園へと変わった。

描き終えるとトミコは壁に頬とアシを押し当てた。するとトミコの目から涙が溢れ、それはトミコがはじめて流した涙であり、悲しいのか嬉しいのかもわからぬまま涙を流し続けるトミコのカラダは、徐々に壁の中へ吸い込まれていった。

トミコの周りでは、瞬(またた)くヒトデや、いななくタツノオトシゴ、枯れることを知らない花々が乱舞している。彼らと共に壁の中を舞うトミコは、小屋を抜け荒野を進み町へ出て、乱立する建物の壁をタコの舞う花園に変えていった。

そうすることがトミコなりのゴンゾウへの弔いであるのだと気づくこともなく。

 

(完)

 

 

 

 

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