優しさは「心に余白がある人」にしか配れない

「なんか最近余裕なくて」
「自分のことで必死で」
「人に優しくできてない」
って感じてる人が優先してやるべきなのは、人への態度を変えることよりも【自分の扱い】を変えること。
一回、思いっきり自分の幸せを充電することに集中した方がいい。優しさは心に余白がある人にしか配れないから。

余裕がない人は、息切れしながら必死に走り続けようとしてる人。止まり方を知らないの。ブレーキの効かない車で下り坂を運転してるみたいな状況。
そんなんで「人に優しく」とか「余裕持って」とか言ってる場合じゃないのです。まずは自分に優しくするべき。枯れた心で走ってる自分を休ませるべき。

ニュージーランドに来てから、こんな言葉を教わりました。
In the world where you can be anything, be kind.
「せっかく何にでもなることができる世界に生まれたんだから、優しい人になりなさい」
以来、余裕がなくなりそうな時に思い出してます。

例えば、運転してて前に入ってどうぞって出来なかった時「あ、私いま優しさを配る余白がない」と気付くようにしてます。どれだけ急いでいようと、1台快く入れる余裕がない私の心には影が出来始めてる。入れてあげなかったところで到着時刻が早くなるわけじゃないんだもの。余裕がないサイン。

他にも、余裕ない時にすることをいくつか把握してる。店員さんの目を見て話さないとか。
それで、自分のことで必死だな〜と気付いて休みを入れる。止まる。まずは自分の心を満たすために。自分を幸せに出来ない人に、人を幸せにすることは出来ません。私は人に優しく生きたいから、休んで充電する。

ホントは自分の心のコップが溢れる前に調節できたらいいんだけど、それはまだ練習中。「余裕がない大人はカッコ悪いぞ〜」と思いながら休暇をプランします。
自分だけでは自分の心を埋められない時は、お金を払って誰かに私のご機嫌とりを手伝ってもらう。マッサージ受けたり、美容室行ったり。

アンパンマンだってジャムおじさんに新しい顔作ってもらって元気充電してる。自分で顔作らないでしょ、アンパン氏。常にサポートしてくれる人がいる。そりゃ優しさを配り続けられるわけだ。

残念ながら私たちの生きる世界は「大変だ!新しい顔が必要だ!」と誰かが常に教えてくれるような環境ではありません。
自分で自分の赤信号に気付いて、自分で自分を充電器に連れて行って、自分でチャージしなきゃいけない。余裕がないのは、まさにその赤信号なんです。

ニュージーランドに移住して以来、日本人は本当に止まるのがヘタなんだなと実感しています。休まない。休むことに罪悪感を感じる。止まるのが怖くて、枯れた心で走り続けている。人に優しくしたいと思いながら、自分に優しくできてない。疲れ切った心にムチを打つことが正義になっている。

余裕ないなぁって時は、自分を最優先にする時。人への優しさは、自分の心に余白ができてから考えたらいいよ。
それは自己中でも自分勝手でもありません。むしろ、閉塞的な社会には必要なこと。自分の幸せが周りの幸せにつながるから。

あなたが幸せだと、周りも幸せ。
自分に優しく、人にも優しく。


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