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幕末に浸りました。特別展 土方歳三資料館×肥後熊本藩

3月!
家の庭に、沈丁花が咲きました。ユーミンの『春よ、来い』を口ずさんじゃいますね。

めちゃくちゃいいにおい〜。かわいい〜。


さて、この週末は、ずっと気になっていた細川コレクション特別展「土方歳三資料館×肥後熊本藩」へ。
新選組にハマっていた時期があるのと、最近は歴史のYouTubeやラジオを楽しんでいるので、テンション高めに入館。県立美術館に行ったのはいつぶりかな〜。

熊本初の、新選組に関する展示会です。

幕末に守り抜かれた資料

それぞれの正義がぶつかりあった江戸時代末期。
新選組結成から土方歳三の戦死までって、たった6年間なんですよね。それに至るまで、じわじわと幕府が衰退して、新たな勢力が立ち上がっていたわけですが。
高校時代、池田屋事件を心待ちにしていた私でしたが、先生から授業冒頭で「まあ、新選組を楽しみにしている人には申し訳ないんですが、1分で終わります」と釘を刺されたのは忘れられません。今ならわかるよ・・・。

新選組が属していた幕府軍は、新政府に敗北し賊軍となるので、戊辰戦争終結の6年後(1875年)に慰霊碑や碧血碑が建立されています。
また、展示されていた「殉節両雄之碑拓本」は顕彰碑ですから、さらに13年の年月がかかったそうです。幕府のために戦った人々をきちんと弔うまで、仲間や関係者にとって、戦は続いていたようなものなのかもしれません。

中でも、近藤勇が土方歳三へ発行した天然理心流の免状は印象的でした。
土方一族がこの免状の処分を逃れるために、諱「義豊(土方歳三)」と「昌宜(近藤勇)」から一文字ずつとって、宛名を「土方義昌」としてあります。
土方歳三個人の資料は、ご家族、ご子孫の大変な努力によって残っているのですね。

熊本とのつながり

幕末に興味を持ち始めた頃、父から「近くに会津藩の佐川官兵衛の碑があるぞ」と教わったときには、「なんか身近に縁があるっぽい!」くらいのノリでした。

そんなことを思い出しながら展示を観ていたところ。
新選組の最初の屯所である壬生寺の向かいに、熊本藩の陣屋があったという事実を知りました。縁があるというか、もはや物理で近い。

熊本藩は藩論が「公武合体」だったことから、一会桑、なかでも会津藩との仲が深く、探索生(調査団?レポーターみたいなものでしょう)が記す報告書にたびたび会津や新選組が登場していたそうです。
報告書の厚み、すごかったです・・・。そもそもが厚めの和紙だし。
(先日、とある記念館の館長が、「和紙は良い状態で残るんですよね〜」とおっしゃってました。)

さらに、熊本出身の新選組隊士・尾形俊太郎の存在もフィーチャーされていました。
副長助勤や、近藤勇の出張同行も務めたそうなのですが、会津戦争後は熊本に戻り、山鹿市に居を構えていたとのこと。
山鹿は、私の祖母の生まれです。今も時折親戚に会いに行くので、ちょっと、いやかなり興奮しました。学問に明るく、塾の先生もされていたそうです。

幕末の登場人物を辿ると、案外近くにそのつながりを見つけられるので、歴史が決して「遠い誰かの話」ではないことを実感できます。



そんな幕末のことを調べていたら、フランス革命の話に辿り着いたのですが、解説する「コテンラジオ」がおもしろすぎて、昨日今日とずっと聴いてます。

とりあえず今はYouTubeですが、spotifyもあるみたいですね。
高校時代、まともに受験勉強をしていないことを後悔・・・👂️でも、今おもしろいからいいッ!!


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