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6年前の今日、1月10日の手帳には「父と会う」と予定が書かれている。

生後3ヶ月を過ぎた息子を父に見せに行き、一緒にご飯を食べた。小さな息子の手を握り、ガラガラを振って微笑んでいた。息子の名前の由来を伝えると、何度も頷き、良い名前だと言った。

それが、元気な父に会う最後となった。


2022年、新たな年が明け、希望に満ちて幸せなお正月を過ごしていた。
仕事始めから、新たな役職に心引き締まり、目の前の仕事に邁進していた。そんなふうに私が日常を過ごしていたとき、父はこの世界に別れを告げ旅立っていた。そのことを知らされたのは、亡くなってから2日後だった。

高校生の時に両親が離婚し、それ以来、父親とは人生の節目節目でしか会うことがなくなった。それでも、私は父のことが変わらず大好きだった。自分の志に真っ直ぐ不器用で、青年のような情熱で周りを巻き込み、詩人のような言葉を紡ぎ、世の中を変えようとただひたすらに命を捧げて生きる父が。

幼い私に孔子の言葉を教え、宮沢賢治の言葉を教え、風林火山の意味を教え、世のため人のために生きろと説いた父が。

大好きと思えば、会えないことが寂しくなるから、あまり思わないようにしていたけれど・・・

父と離れて暮らす日々も、父はどこかで元気にしているだろうといつも思っていた。何かを成し遂げたときには、父に喜んでもらえると心躍った。

だけどもう、父はこの世にいない。

「どこかで元気でいるだろう」というのと
「この世界にもういない」というのは大きく違う。
今、私は気を緩めるとすぐに涙が溢れてしまうくらい、こんなに心の中に父がいたのだということに、今更ながら気付かされている。

6年ぶりに会う父は冷たく、目を合わせることも、手を握ることも叶わなかったけれど、父の旅立ちの場に息子と共に参列することが出来て本当に良かった。


私が父から受け取った、心を燃やして生きること。
違いを認め合い生きられる世界をつくること。
生まれた環境や属性で、何かを諦めなくて良い人を増やすこと。
私は私の手段で、私の世界で、父と同じ志に向かって歩んでいく。

この世界に唯一残された、父のDNAを受け継ぐ子供として、誇り高く生きていくことが、父の望みだと思うから。


ありがとう、パパ。
これまで私を育ててくれた日々、伝えてくれた沢山の言葉たち、かけてくれた愛情、ずっと忘れないよ。
温かいパパに、最後一度でいいから会ってハグしたかったなぁ・・・
世界で一番パパに愛されていた 愛娘、佳世子より。


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