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言葉に頼りすぎずに生きていきたい。

日々、言葉を扱って仕事をしています。
お客様と出会うためにも、お客様にサービスを届けるためにも、チームメンバーと仕事を進めていくためにも。

毎日インスタグラムで発信をします。
ビジネスのツールとして、自分を知ってもらう手段として、SNSを活用するようになって随分経ちました。SNSを通して知り合った人たちとの繋がりもどんどん増えて、一度もリアルで会ってなくてもすでに古くからの友人のように思える人たちもいるくらい。

オンラインで人と話す時間も多くあります。
私は一歩も家を出ていないのに、自分の仕事部屋からフランスやら中国やら、海外に住んでいるお客様と繋がってお話をして、世界中をあちこち出歩いている気分になったりもします。

1日のうちに自分から発する言葉を使う量は、昔、テレビのディレクターとして人の話を聞いて、番組にまとめていた頃よりも格段に増えました。

だけど・・・ 
”役に立たない言葉を発したい。”


時々、そう強く思うんです。

ビジネスのために、とか関係なく。
とことん役に立たない言葉を発してみたいと。

脈絡があるかとか、わかりやすいかとか関係なく。
わかりにくさもそのままに、ただただ心の中にある言葉を外に出して、そっと並べてみるような。

そんな発信をしたくなる時があります。


小さな頃、言葉を発するのが苦手な子供でした。

言葉にすると、グッと物事の輪郭って浮かび上がってきませんか?
それが良い時もあれば、私にとっては、なんだか苦しくなる時があるんですよね・・・。

小さい頃の私は簡単な質問にも答えられない子供でした。
例えば、「かよちゃんは、なんの食べ物が好き?」と聞かれても、答えられなくて黙ってしまうんです。うつむく私の視界には小さな靴の爪先が映っていたのをよく覚えています。

なんで話せなかったのだろう?と今考えると、「卵が好き」というと、それ以外を排除するみたいな。その、排除、をしたくなくて、一つを選んで答えることができなかったんですよね。

「卵も、納豆も、梅干しも、海苔も、綿菓子も、リンゴ飴も、メロンも、オムライスも、チョコレートケーキも、バナナジュースも、バームクーヘンも、焼き肉も、お茶漬けも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・も好き」って、いっぱい言えたらいいけれど、大体の場合は、そんな時間もなくて。

何かわかりやすく一つを選んで話さないといけない。

削ぎ落とすのが、苦手だったんです。
本当の本当のところをいうと、今も、苦手かもしれません。


「言葉を扱うのが上手な人たちがこの世界を作っている」
「でも言葉か、言葉じゃないかって、本当は英語か中国語かみたいな違いなんだと思う」


昨日、画家である友人と話していたときに、彼女が言った言葉がすごく胸に残っています。

彼女が描くのは抽象画で。「絵を見た人が何を感じても、どう受け取ってくれてもいい」と彼女は言う。彼女の絵が私は大好き。

そんな彼女も「私は言葉で表現するのが苦手だから」というんです。

「これまで、言葉にできないのは悪いことだと思ってた。言葉にするのが苦手でごめん、って後ろめたかった。でも最近は、どっちが上とか下とかじゃなくて、外国語話してるみたいなものだと思うの」と。

本当にそうだな!!!!!と、その言葉を聞いてめちゃくちゃ腑に落ちた。

言葉というツールを使える人たちが偉くなって、この世界のゲームは、言語化できる人が優位に立てるゲーム。でも、本当は、言葉以外の表現方法で伝えることだって、同じように大切で、どっちが上とか下とかないやん!!!!って思ったのです。

この文章を読んでくださっているあなたは、どう感じますか???(もし良かったらコメントもらえると嬉しいです)


言葉ってすごく便利だけど、言葉に頼りすぎずに生きていきたい。


言葉にできていないからって、「無い」じゃなくて「有る」前提で、人と向き合って生きていきたい。

言葉にならない想いもしっかり受け取れるような。
そういう人でありたい。

そーーーんなことを徒然に思ったのでした。