#翻訳 なぜ年収5000万のアマゾンを辞めて独立したのか
どんなに外から評価されても、自分を本質的に動かすものがないとがんばれないというブログ。とても共感できたので翻訳。
原文:
https://danielvassallo.com/only-intrinsic-motivation-lasts/
本質的なモチベーションだけが残る
なぜ年収5000万のアマゾンを辞めて独立したのか
先週、8年間努めた快適な職場だったAmazonを去った。
繰り返し昇格、昇給し、きちんと認められ、報酬をもらってきたにも拘らず、
もう1年過ごすモチベーションが湧かなかったのだ。
私はほとんどの時間を開発者向けのAWS構築ツールに費やしてきた。
私はこの領域がとても好きだったので、残りの人生でずっとこの仕事をしていても満足しただろう。
Amazonにはエントリーレベルの開発者として入社した。3年半で、私は2回昇進しシニアエンジニアになったし、もし残っていれば、今年中に主任エンジニアへの昇格を間違いなく確約されていた。私の会社に対するポテンシャルは高いと言われていた。
社内で私を尊重する姿勢は年々大きくなり、私はこの領域の専門家でありリーダーだとみなされた。みんな私に憧れ、尊敬してくれた。
私の年収は初年780万円($75K)だったが、次第に上がり最終的には5,500万円($511K)となった。もしあと数年残っていれば、1億円を手にできたということになる。
私のAmazonでの責任にも拘らず、ワークライフバランスも上手く取れていた。
自分の能力を誰かに提示する必要もなかったし、すべての仕事を1週間40H内に終わらせられた。チームは週に1度自宅勤務していしたし、自分のPCを深夜や週末に開くことなんてめったになかった。
その上、一緒に働いている人々は別格だった。私は計3名のマネージャーを抱えていたが、全員が寛大で情熱あふれる人たちだった。一緒に働いたすべての人に対して、感謝している。
すべてが順調でどんどん良くなっていた。しかし、これら全部を踏まえても、朝会社へ行って仕事をするモチベーションは下がりつつあった。キャリアや年収の成長とほぼ反比例だった。
私は、新たな昇格や大幅な昇給、または大プロジェクトを手にすれば、私のモチベーションが上がり始めると期待してしまっていたら、私は愚かだっただろう。そこにはモチベーションを下げるほかの要素があった。私の自由である。
モチベーションの低下
最初の数年は、モチベーションはとても高かった。私はある社内ツールのために働いていて、綿密なチェックはほぼなかった。どのように、何について働くかの選択について、たくさんの自立を得た時であった。少なくとも直近の数年と比べれば。
この件には私ともう一人だけがかかわっていて、2人で改善したり、ユーザーと話したり、アップデートをリリースしたり、テストしたり、その他全部やった。私たちが重要だと感じたことは、すなわちやるべきことだった。自分たちのできる限りをを尽くし、自分たちでほぼすべての方向を決めた。
しかし最後の2、3年はかなり違っていた。私は部署ができて以来の最重要プロジェクトをリードしており、関係者は多くゴールは複雑だった。私ができることは、いつも、関係者全員に対して、これがゴールへのベストな道なのだと納得させることができるか次第だった。
私はいつもAmazonの誰かの条件に対して働くことになっていた。
条件は最初はシンプル(改修を続ける)、しかし年がすぎるにつれ複雑さを増していく(すべてのゴールを最大化する;すべての関係者を満足させる)。そして大きな組織特有の他の制約が生まれる。どうやって働くか、何をやるのか、目標は何にするのか、どのビジネスを追求するのか。この状況は、できればやりたくないことをやれと私を圧迫し、そして逆もまたしかり。
新しいモチベーションを探す
もし永遠にそれをやらなければいけないとしたらどんな仕事がいいか?それは何かマイルストン(目標)を目指して行うものではなく、自分が80歳まで続けていたとしても満足して考えていられるようなもの。
私ができることで、向こう45年、自分が毎朝起きることが楽しみになり、かつ自分の出費を補填できるくらい十分に稼げるものは何だろうか?これは野心なさすぎ?そうは思わない。なぜなら私を朝ベッドから出すには2つの要素がある。
1つは外からにんじんをぶら下げてやってくる。たとえば、私は毎年4月に自動的に所得申告を行うわけではないが、確実に所得申告をする。なぜなら刑務所に入りたくないからだ。または、私は自分の嫌いなもののために働きたくはないが、お金を払いたくないのでそれをとりあえずやる。これは外部要因的なモチベーションである。
もう1つは、内部から来る。これはにんじんがなくても自分を動かしてくれるものである。趣味はその1つ。しかし、私が探していたのは、内部からモチベーションが湧き、かつ生活のためにできること。本質的な類のものだ。
これは野心なさすぎかという質問に戻る。ご存知とは思うが、私は外部的なモチベーションは続かないと知っている。いくら昇進したって、1週間良い気分で、それでおしまいだ。私が初めて年収1000万($100K)に到達したとき、数日間自分の源泉徴収票をチラ見してはその6桁の数字に見とれたが、もう目新しさはなくなった。2000万、3000万、4000万、5000万に到達しても、後は同じことだ。1億、もしくは10億を手にすると突然すべてが変わるかもと考えるのは思い違いだろう。そして私は他の外的な報酬や所有物に対しても同じことを感じる。それらを得ることは、しばらくは良い気分だが、すぐに飽きる。
いつまでも薄れないものとは、自分が子供のときからやっていること、だれにもそれをやれと強制されないものだ。コードを書いたり、作ったものを売ったり、自分の計画を立てたり。
私は自分の強みを知ってて、何が自分を動かすか知っていて、だからそれをやるしかないではないか?私は、巨額の資金や外部投資家が不要で、自分の専門領域の範囲内で自立して何かできる、このご時勢に生まれてラッキーだ。だから今私はやっているのだ。
これから何をやるのか?
すべてを自力で行い、0から始めてこの自分の両手で生計を立てるということに挑戦する予定だ。自分のやりたいことだけをやるわけではないが、自分の条件に沿っているはずだ。私のターゲットは、自分の貯金が尽きる前に、自分が本質的に突き動かされることを行い、それによって家族の出費を賄えるようにすること。それ以上に自分を満足させる仕事なんてあるだろうか?