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生き抜くことの尊さ

今日は英語から離れて、私の身に起ったことをお話します。少しでもお役に立てればと思います。

突然の出来事

信じられないくらいの幸せが突然消え去ることがある。夫が亡くなってからの2年間位あまりまともな記憶がない。泣かない日は自分を褒め、毎日を終えるように努力した。夫がいないと日常が色を失い変わるのではなく、以前と同じように朝は来て、鳥は鳴き残酷なくらい日常は変わりないのだ。若いのだからやり直すチャンスがあると言われたが、何をやり直せというのか。過去に生きてもしょうがないと言われても、夫と生きた過去が、何よりもかけがえのない時間なのだから、本当に放っておいてほしいと思っていた。分かったような振りをして近づいてくる人や、過剰な親切心を押し付けられると自分がみじめになり、辛かった。だからこそ意地になり、強く生きようとした。本当は毎日死んだら楽になるのにと何度も思っていたのに。

一歩ずつ

冷静になるには時間が必要である。こんなシンプルな事さえ、あの頃はわからなかった。大好きな父を奪い、半年後に夫まで連れて行ってしまった神様を恨んだこともある。でもきっと彼らは、泣いてばかりいた私に悲しんでいたかもしれない。泣かない日が一日一日増えていくたびに、少しずつ前向きになっていった。数年たった今では、大好きだった人達を悲しませることのないように、私はこれだけ幸せだよと言いながら生きていきたいと思えるようになった。毎日一歩ずつ彼らに恥ずかしくないように、生きていく。彼らが生きられなかった分も。

HOW TO

色んな本を読んだり、母からのアドバイスをもらったりしたことも役に立った。夫が亡くなった、これからどうしてよいかわからないと言ったときに、母が可哀想に、直ぐにお母さんが傍に行くからねと言ってくれた事は脳裏から離れない。母も父を亡くして辛かったはずなのに、娘を思って朝一番の電車に乗って、私に会いに来てくれた。私には圧倒的な味方がいる。その人を悲しませるようなことはできない。生きなくては。

大好きな人たちへ

人は一人では生きていけない。今は難しいかもしれないけれど人と会い、おしゃべりをし、食事をしてその中から生まれる素晴らしい一言に救われることがある。対面でのコミュニケーションが難しい状況は続くけど、大好きな友達にはラインを送り、住所を知っている人には手紙を送る。日は必ず昇る。きっと以前のように当たり前の日常は戻るはず。強く信じて愛情と優しさを持ち続けたい。会社に通う事は面倒くさいと思っていたけれど、いざ在宅勤務を余儀なくされると勝手なもので、非常に会社に行きたくなる。ダイニングテーブルでの仕事は、プライベートと仕事の境界線を曖昧にする。それでも仕事があるだけありがたい。公平な社会なんてない。文句を言っている暇があったら、自分の生活を少しでも豊かに一日幸せだったといえる日にしなくては。

私の未来

天国で大好きな人たちと再会した時には、頑張ったねと言ってもらいたいから、毎日を丁寧に生きようと思う。あの時鬱陶しいと思った親切心は、今となっては真の愛情であったと思える。今まで言えなかった、“ありがとう“を今はなるべく口に出して感謝を伝えている。みんなの優しさにより、今私は生かされているのだと思う。

#大切な人 #丁寧に #幸せに


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