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Margo-物語と糸- #37 |『ムーミン』を染める 5

 ムーミンをテーマに染めている毛糸、5色目は「春がきた」です。

 たしかにきょうは、すばらしいお天気になりそうでした。どこにもかしこにも、長い冬のねむりからさめた小さいいきものたちが、よっぱらったような顔つきをして、ぶらついていました。去年あそんだ場所を探しているのや、きものに風をあてているのや、口ひげにブラシをかけているのや、せっせと春のすまいの用意をしているのや。
(『たのしいムーミン一家』山室静 訳/講談社刊より)

 『たのしいムーミン一家』では、ムーミン一家が冬眠に入るシーンをプロローグにしており、ムーミントロールが冬眠から目覚めたところから物語が始まります。このときの皆が春の到来に浮かれている様子がとても楽しいのです。スナフキンは「春がきた」の歌を横笛で吹くほど。ムーミンとスナフキンのふたりでは橋の手すりに腰かけて両足をぶらんぶらんさせて過ごし、スニフも一緒に3人で山に登って石を積み上げて遊んだりもしています。それが、少年らしくてとても良いのです。

 ムーミン谷の春は、どれだけ明るくハッピーなのでしょうか。フィンランドでも桜が咲いてお花見するそうなので、ひょっとしたらムーミン谷にも、桜は咲いているかもしれませんね。 
 この糸は、春まだ浅い明け方の空の色や可憐な春の花など、ムーミン谷を優しく甘く彩る春色をイメージしています。そして糸の名前には、スナフキンが横笛で吹いた歌のタイトルをつけました。 

もうひとつの「春がきた」
 わたしがムーミン小説9冊のなかで一番感動したのは、『ムーミン谷の冬』のなかで海に春が訪れる場面です。ムーミンがミイを助ける場面もスリルがありますが、何しろ氷が溶けはじめる海の描写がすごいのです。

おしゃまさんが、手にもっていたコーヒー茶わんをおいて、さけびました。
「むこうで、春の大砲が鳴ったわ」
氷がゆっくりともちあがりました。するとまた、あたらしい大砲の音がひびきました。ムーミントロールは、水あび小屋からとびだして、なまあたたかい風の中に、きき耳をたてました。
「ほら、むこうから海がおしよせてくるでしょ」
うしろで、おしゃまさんがさけびました。
遠くで白い波がしらがたち、おなかをすかせておこった波は、つぎつぎと冬の氷をのみこんでいました。
 黒いわれめが、もう氷の上を右に左にはしっています。しまいに、われめはくたびれたのか、すがたをけしました。すると、海がまたもりあがって、あたらしいひびわれができます。
それは、まえのわれめよりも、ずっとひろくなっていました。
『ムーミン谷の冬』山室静訳/講談社文庫より

 それまでも風や陽射しに少しずつ気配はあったのですが、海の氷が割れることで、春の訪れは決定的になります。割れた氷がぶつかる大きな音を「春の大砲」と呼ぶなんて、なんて素敵な表現でしょう。北国の春のはじまりは、寒さが厳しいからこそとても迫力があり、圧倒されます。海辺に暮らしたことのないわたしにとって、海に春の兆しがあること自体も、とても新鮮でした。

 また、たった今気づいたのですが、この場面の章タイトルも「春がきた」でした。そう、『たのしいムーミン一家』でスナフキンが浮かれて演奏した横笛の曲と同じ名前だったのです。ひょっとしたらスナフキンが演奏したのも、海に訪れた春を表現した歌かも知れませんね。そして嬉しいことにMargoの春色の糸は、2冊の素敵な春の場面にゆかりがもてたようです。

『島暮らしの記録』を読んでみつけたこと
 トーベの著作に『島暮らしの記録』という本があります。トーベは恋人のトゥーリッキと一緒に無人島に小屋を建てて、毎夏をそこで過ごしました。『島暮らしの記録』には、島を借りてからそこを去るまでのさまざまが綴られています。
 この本はだいたいが夏のお話になるのですが、一度だけ2人が春先の海を見るためにヘリコプターで島に行くエピソードがあります。そこでトーベが見た氷が割れる海の描写がまた素晴らしいのです。迫力ある音、幻想的な姿、神々しい光……深遠さをたたえた雄大な自然の描写に、読んでいるこちらも貴重な体験をした心地になります。

 ひょっとして『ムーミン谷の冬』の春の訪れのシーンは、このときの体験から生まれたものではないだろうか……? きっとそうに違いないと思って調べてみたところ、『ムーミン谷の冬』の刊行が1957年であるのに対し、ふたりが島に小屋をたて始めるのが1964年で、小説の方が7年も先に書かれていました。「トーベは氷にヒビが入るところを目撃し「春の大砲」をその耳で聞いていたからこそ、海に春が訪れるシーンがあんなに迫力あったのだ」というわたしの推理は、どうやら間違っていたようです。がっかりするとともに、トーベの豊かな想像力に感服してしまうのでした。


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