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楽しいことを、楽しいと、大声で言おう

昔から、わたしはずいぶんお気楽に見えるらしい。

「楽しそうでいいわね」

と、言われたことは数知れず。

そりゃー楽しいこともあるが、わたしはわたしなりにしんどいこともある。それが他人にとって些細なことであれ、落ち込んだり寝込んだり心が塞いだりする。

「わたしも、わたしなりに、大変なんです」

と伝えることは幼い頃からの癖だろう。
そうしなければ、わたしはわたしの弱い部分守ってはこられなかったし、間違っていない戦略だったとおもう。

同時に、大きな不幸なことがないことが、わたしをよく後ろめたくさせた。今日も空は青く、風は心地よく、両親も健在で、身体もどこも痛くない。大きな不幸はかつて犬と猫を亡くしてしまったこと以外におもいつかない。ずいぶん恵まれているのだろう、とおもっていた。幸せや不幸はひとつのものさしで測ることなどできないとわかりながらも、そのものさしがあるような気がしていた。

楽しそうに見えるという人に、いやいや大変です、と伝えるのもそのものさしが関係しているのだろう。ある程度苦労するべきだ、とおそらくわたしが信じているから、そんなことを言いたくなるのだろう。大変なことしてお金をもらうべきだ、ともおもっていたが、ももちゃんから「楽しいことしてお金もらえたらよくない?」と言われて、目から鱗が落ちるようだった。

そろそろ、その架空のものさしを、捨ててみたい。

そんで、楽しいことをして、大きな声で楽しい!と言おうとおもう。

娘は、その意味ではわたしの先生で、あまりに素直な笑いと、泣きと、怒りに、毎日すごいなぁと惚れ惚れしている。

書きながら『ぼくは勉強ができない』の秀美くんのセリフがリフレインする。

ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決して、したくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。

『ぼくは勉強ができない』山田詠美

この本を読んだのが、12.3歳の頃。いつか、わたしも自分のものさしを持つ日がくるのかもなぁとおもって、20年。20年かかって、ようやく、だ。

***

宿、はじまって1ヶ月。
今のところめちゃんこ楽しいです。

改善点や、不安や、心配はあるけれど、泊まってくれた人と、緊張しながら話すチェックインも、前日よりもほどけた気分で話す翌日の縁側も、お見送りも、好き。

嬉しかったくじらさんのnote貼っちゃう。

みんな、来てね。
そんで一緒にあそぼう。

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