見出し画像

海のそばのホテル

 リゾートホテルだけがもつ、夜のこわさがある。清潔な真っ白なリネンの上で、ひとあし先に娘は寝息を立てている。窓を開けているから、外からはザザーザザーと波の音が4階のこの部屋まで届く。ももちゃんは煙草を吸いに外へ出ている。枕元のスイッチで部屋の電気を消して、娘の隣にもぐりこむ。天井が高い。同じこのホテルの中で、セックスをしたり、お酒を飲んだり、尽きない話をしたり、もう寝たりしている人たち、夜勤をしているだろうスタッフの人たちのことをおもう。今、このホテルに泊まっているすべての人が、この夜の闇と底の見えない黒い海に包まれている。こわくなって、掛け布団を深くかぶる。幼い頃、何度も家族と泊まった海の近くのホテルでも、いつもこうだった。大きな窓、南洋の植物をかたどったカバーのかかるクッション、広い部屋、目に映るものがすべてよそよそしく、お家に帰りたくなる。海の近くの民宿では、このこわさはない。

 今回泊まったムーンビーチホテルは、想像よりもずっと美しいホテルだった。フロント前に車を停めると、丁寧にスムーズに荷物をおろしてくれた。ロビーの先に広がる海は綺麗で、古くても広々と緑の多いタイル張りの広場も、ぎこちないがやさしいチェックインのお姉さんも、座り心地のよいラタンの椅子に座って食べるケーキやアイスコーヒーも、良かった。

 ご予約よりも広いお部屋をご用意しました、というお姉さんの言葉どおり、通された部屋はツインのベッドが窓際にあり、その壁向かいにはソファーとテーブル、ベッドの奥の窓ガラスとは反対側には数畳の畳、その畳の奥には、海のみえるようにつくられたガラス張りのお風呂のあるお部屋だった。玄関を入ってしばらくは茶色のタイル、寝室は足馴染みのよい木のフローリングなのも好ましかった。

 「海へ行こう!」と娘が言うから、水着に着替えて、ビーチへ向かう。エレベーターの前では、砂をはきつづけているお兄さんがいる。わたしたち用の島ぞうりは部屋に用意されていたが、娘のサンダルは持ってきていなかったので、売店で水色と白のサンダルを買う。カウンターで真っ黄色のタオルと、砂遊びセットを借り、浜におりる。娘とももちゃんはすでに砂遊びをしている。15時過ぎ、まだあたたかい。すこしだけ海へ入る。波が来るたびに、きゃーきゃーと娘は声をあげる。すこしだけ寒い。しかし、それにしても、海は綺麗で、砂はやわらかい。近くではベンチで本を読む外国人がいて、その奥は修学旅行生がビーチバレーを楽しんでいる。本格的に寒くなりそうなので、渋る娘を連れてシャワーを浴び身体を拭き、そのまま大浴場へ向かうが、大浴場は17時からだと言われしょうがなく部屋に戻る。浴槽にお湯をためていると、ガラス張りの向こう、寝室の先のテラスの奥の海が輝いていた。風呂から海が見えて、楽しいのか?ガラス張りの風呂ってどうよ、と思っていた気分は一掃される。娘ともう一度シャワーを浴び、浴槽につかる。夕陽が沈みそうだ。あまりの幸福さに頭がくらくらする。風呂から見る海は、めちゃくちゃ良くて、大浴場に入らなかったことも幸運におもった。

 夕飯は、歩いて行ける民謡居酒屋の予定だったが、予約でいっぱいで、その先の琉球料理屋もすでに団体客で貸切、もう一軒先の那覇にもある沖縄料理居酒屋のチェーン店に入る。ここはなにを食べてもそこそこ美味しい。ホテルのラウンジで飲むビールのことばかり気になって、ささっと食べてホテルへ帰る。

 おかえりなさい、と声をかけられて、ラウンジのふかふかの椅子に座る。すべてのテーブルにろうそくが灯されていて、その先のグリーンの上には松明が燃やされている。ここのラウンジは滞在中はいつでもジュースやケーキが楽しめて、17時以降は簡単なおつまみとビール、泡盛やウイスキーが飲める。娘は今日2度目のケーキタイム、わたしはビールとハム、海ぶどう、ももちゃんも何種類かのおつまみを食べる。

 ずいぶん満足して部屋に戻る。ビーチへ行って砂の入りすぎた部屋を出る前に一度ホテルの人が掃除機をかけてくれた。ベッドガードを設置するついでにベッドの位置を動かしてくれて、娘は安心して眠れる。ふかふかのベッドに入るとすぐに娘は寝てしまう。部屋で飲みたくなって、オリオンビールとポテチを売店で買い部屋に戻る。すこしだけももちゃんと喋り、コインランドリーで洗濯物をまわしている間に、さっき入りそびれた大浴場へ向かう。普段入らないサウナにはいる。水風呂は異様に気持ちがいい。緑の中の喫煙所で煙草を吸い、部屋に戻る。もうくたくたなので、わたしも眠ることにする。そうして、この文章の冒頭にもどる。

 明るいときには随分と歓迎されているように感じたこの部屋が、とても居心地が良いと思ったこの部屋が、夜の闇と波の音だけが聞こえるベッドの中だけではこんなにも居心地の悪さをもたらすことが不思議でならなかった。

この記事が参加している募集

#わたしの旅行記

10件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?