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映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

三島由紀夫の自決の一年半前に東大全共闘との討論会が開催され、三島はサルトルの「存在と無」を援用してエロティシズムについて言及している。暴力とエロティシズムは深い関係性があり、意思を持った主体に対する愛は非エロチックである。非エロチック的なものに暴力は発生しない。
それは対決の論理であり、学生暴力というものをただの暴力とは考えない、という。
東大時代にマルクスと三島由紀夫に傾倒したという新井将敬の著書「エロチックな政治」はここから来ているのではないか。その著書の中の「野村秋介の自決」で新井はこう書いている。

「彼の死は、型(あるいはアイデンティティ)とその再生にかかわる死であって、全く政治的な文化的な死なのである。政治家の中に、政治的な死が全く見られずに、野村氏や三島由紀夫氏によってのみ政治的な死を教えられるということは残念なことだ。しかし、それこそ戦後民主主義というこの国の戦後のあり方だったのである。」

一歳くらいの娘を肩車して闖入する芥正彦との討論を観るだけでもこの映画は観る価値があると思う。「美と共同体と東大闘争」(角川文庫)の全共闘Cというのが芥正彦である。70歳を越えた芥がインタビューで三島の自決の感想を「良かったんじゃないの。一世一代の芝居をやったわけだったから」
と答えたのは芥も三島に共感する部分があった、と私は感じた。

冒頭で司会の木村修が「さっき三島先生が、三島さんが、ここで先生という言葉を思わず使っちゃたのですが、それは若干問題があるわけですが」

ここで聴衆は爆笑。

「しかしながら、少なくともこの東大で現実にそこら辺にうろうろしている東大教師よりは、三島さんの方が僕は先生と呼ぶに値するだろうと、それで僕は使ったということを許可していただきたい」

聴衆から拍手。

三島由紀夫は彼の後ろに座って笑いながら煙草をふかしている。
私はこの場面を観ると涙ぐんでしまう。

フランス文学者、翻訳家で武道家の内田樹は言う。

「この討論で三島由紀夫は1000人の学生に対して追い込んだり、論理矛盾を指摘することは一度もなかった」

始終、三島由紀夫は紳士的で誠実な態度であった。さもありなん、この討論は東大全共闘に対する遺書だったから。

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