見出し画像

国際大会

時系列は本当に覚えていない。
厳密に言うとずれているかもしれない。


確かこの頃に国際大会があった気がする。

国際大会ってなにかというと
世界中のエホバの証人の兄弟や姉妹たちが日本にやってきて、
それで、東京ドームのような大きな会場を借りてセミナーを行う
数十年に一度あるらしいがあまり知らない(笑)。

もちろん、宗教と言えば献金というイメージがあるように
(実際にお年玉は寄付していた)

エホバの証人は自ら「寄付金」を行うように誘導される
定期的に寄付しているのでもちろん贅沢な暮らしは望めない。

我が家は月に何回も外食には行けなくて父がいる時だけだし、遊びに行くことはあっても我慢はつきもの。
スーパーでこれ欲しい!と言えば「高い」「お金が無い」と言われるがオチだった。


そんな生活をしている中、世界中から仲間がやってくる。
もちろん、彼らが日本に滞在する間の宿泊費が大きな問題となる。
そこで、ボランティア精神に溢れる日本の信者たちは「我が家に泊まっていただけないだろうか」と言うことになる。

もちろん、わたしの家は都営団地だけど
父は不在なので母ひとり子供二人で暮らしていて、六畳ひと間はリビングだったし空いていた。

母は国際交流!!??ということに目を輝かせて率先してホームステイ先として我が家を提供していた。

わたしもベテルに行くのが夢だったし
外国語を学びたくさんの方にエホバを知ってもらいたい、と洗脳されていたので、とても喜んだ。

誤解が生じるのを防ぐためか
我が家がホームステイ先になっていることを学校では公言しないように、と母から言われてた記憶も微かにある。


ドイツかアメリカか…
とにかく自分よりも身長も大きくて豪快に笑いそして優しい外国の方をお招きした。

楽しかった
沢山お土産もくれた。
知らない言葉も覚えた
外国語を学んだ
世界がひらけた
エホバの絆ってすごいなって実感もした
観光したりもして
国に帰る時は泣きながらハグした

私がいた会衆には韓国からのお客様もいた
ホームステイ先になっていたおうちは私がとても懐いてた老夫婦のお家だった
その老夫婦はわたしのことをお客様に話した
そして交流が始まった。

都内の会衆にも来てくれてたり
我が家にも来たり
ほんと、今振り返るとどこからそんなお金…って思うけど笑

たくさん交流した。

その後も交流が続き何年か後にわたしは姉妹たちと共に渡韓することになる。
もちろん、奉仕もしたし交わりもして、集会にも行った。
会衆の老姉妹からはチマチョゴリも貰った。
大切に取っておいた記憶もあるが、今はもうない。

とても貴重な経験をした「国際大会」

でもこれは、子供の目線だからこう言えるんだと思う

国際大会にかかった費用は全て寄付金だ
お金の流れを考えると、エホバの証人は特に恐ろしい団体だと思う

わたしはまだ何も知らない子供でしかなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?