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搾取される人生


2024年



2月にやっと気づいたこと

それは「搾取をされ続けた」という事実

宗教に
親に
加害者に
仕事を通して
日常を介して

それこそいろんなところから

搾取される人生だ ということを


搾取って聞いても

搾取?

サクション?

サクシュ???


って感じで全然ピンと来てませんでした。


そもそも意味がよくわかんない
搾取???

って感じです。


搾取されてこなければ
とか
一般的には搾取されない人生、とか

そういうキーワードを聞いて「ん?🤔」っと
少しだけ考えるようになったんです。


サクシュ?


って


……



振り返ると私の人生はいろんなものに搾取されてきたんだな、と思いました。

でも逆に搾取されないってことは

搾取されない = 用無し

価値のない人間  だとすらも思ってきました。


だから、


搾取される = 愛されている  = 必要とされている     と


そう、感じていたし思っていたんです。


常に自分自身の価値を見出すために奮闘してきましたが、根本はこういうことがきっかけだったのかもしれません。


だからこそ結婚生活が上手くいかなかったんでしょう!と、ひとつ理解もしました。
一回目も
二回目も 「幸せな家庭生活」を望んでいたはずなのに、求めていたものと違う現実ばかりでした。


そこで私の価値観は一般的な 愛 と 違うよって教えてもらいました。
まだ私はわかってないかもしれません。

排斥と同時に愛を否定しないと生きて来れなかったから。
愛を与えられても受け入れられないんですよね、こじらせてるなってとても感じてます。

この事実も教えてもらいました。
教えてもらわないと、気づけない感情や現実でした。


本当にここ数ヶ月前までパートナーから「搾取」されないから愛されてないんだ、愛されないんだって悲観的でした。

サタンの子だから。


当然の事ながら私の愛の価値観と
パートナーの愛の価値観が食い違うので
生活も上手くいくはずがありません。それもそうですよね。


私はこの事実に気がついた時
とても衝撃的で
でも どこかで ほっとする自分もいて
″サタンの子″から少し離れることが出来た気もしました。

わたしが望む形じゃなくても
愛 されていたんだ
存在 してても良かったんだ。

この事実が理解出来た時
やっと肩の力が抜けて
パートナーに対して素で接することが少しだけ辛くなくなった


そんな瞬間でした。

(やはりわかっていても上位の権威とか頭の権とか意識してしまって、勝手に卑屈、悲観的になることが多いです だからこそ素で接することがとても難しくあり、課題でした。)

それからまだ1ヶ月も経ってないけど、好きな物ややりたいこと、食べたいものなど少しづつ、ほんの少しずつだけど意思表示も出来るようになりました。


すると、とても生活が楽です。
肩の力が抜ける、そんな感じ。
パートナーのためにも
家族のためにも
少しづつでも向き合うことを辞めずに色んなことを理解していきたいと思いました。

理解できるようになるまでは
そこそこ辛いんですが、
理解出来たその後はとても幸せを感じられることを知りました。

夢にまでみた
幸せ や 家庭生活 だからこそ
後悔がないようにも
これからも考え続けようと思います。

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